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オブジェクト思考ブロギング

話し言葉と書き言葉

 

・話し言葉=音声

・書き言葉=文字

という物理的な形だけでなく、

 

・話し言葉=対話的
・書き言葉=独語的
という違いも往々にしてある。

 

書き言葉でも、相手を意識した対話的な文章があるし、話し言葉でも、マスに向けた対話的でないスピーチもあるので、きれいに分かれるわけではないけど、物理的なアーキテクチャーが、内容を規定しがちではある。

 

ソクラテスは、書いた文字では思想は伝わらずと考え書字は残さず、弟子のプラトンがそれを書字にしたという話を聞いたが、ソクラテスは、思想や哲学はクライアントがあってこそ成り立つもの、インタラクティブにやってこそ成り立つものという発想だったのかもしれない。カスタマーに対してカスタマイズしたやりとりがあってこそ成り立つとすると、それは臨床の営みに似ている。対して、プラトンはどんな人にも「正しい言葉」があるという前提で書字にできた、と。education (中から引き出す)ことは、やりとりがないと難しいが、teachingは一般論として可能。というのに似ている。インタラクティブだとすると、相手が変わっていく様に応じて、話者自身(の内面)とその言葉も変わっていく。

 

文字になった文章にしても、話し言葉性の高い文章と、書き言葉性の高い文章がある。文章によっては、普遍的な論理(プラトン的)というより、血肉と性別・人種を持った特定の文脈の一個人の一意見として読んだ方が強度もあるし、頭に入りやすいことがある。

 

客観的に存在するものに関しては、独語的な営みを続けていくことは強力な手段になる。例えば自然科学。コミュニケーションがよく働く時もあるが、時として自閉的であるほど強い*1。一方で、対話の中にしか存在しないものもある。例えば、政治。「三人寄れば政治が生まれる」という言葉があるが、逆に言うと、一人では成立しない営みだ。この営みを成立させる原理とは何だろう。他にも、人文の世界はどうだろう。

ハンナ・アレントにおける政治の意味 - ideomics

 

対話的に物語るには、聴くという状態を踏まなければならないけど、聴くために完全に沈黙して(一旦は)受容する必要があるけど、いわゆる優れた人ほど難しい。なぜなら、(皮肉ではなく事実として)大抵の場合、自分の発言のクオリティの方が相手より高くなって、その場では情報的にそれがベターだから。しかし、ベターの合計が必ずしもベストにならないのは、世の常で。対話的な沈黙を知ることは意外と難しい*2

 

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しかし、話し言葉というアナログ信号を、文字というデジタル情報に変換するのって、それなりに「デジタル革命」的な飛躍があるんだろうな・・・そもそも現象を音声表現に、そして音声をある集団で共通の言葉にするのもデジタル化な感じだけど。

 

現象を言葉に、言葉を書字に、書字をコンピュータ文字に、という変換を経るに連れて、より安定的で客観的で再現性のある形をつくることができる。とともに、「再現性のない部分」は抜けて落ちていく。現象→ヒト音声→言葉→書字→コンピュータ文字という四重の「デジタル革命」を経た形式で文章を書く。コンピュータ文字が数字と等価とすると、ここがデジタル化の極北な気もするが、この先があるのかどうか。。。

 

文字といっても、表音文字表意文字ではデジタル化という意味で、かなり違いはありそうだ。アルファベットくらいになると、26+進数とみなせないこともないが、漢字を1000~進数というのが無理がある。という意味で、より単純化された表音文字になってる文化の方が、2進数なコンピュータの世界と相性良いのかな・・・日本語なんて、書字レベルで4種類の文字体系混ぜてるしな・・・と思ったり。相対的に話し言葉が主体になる現地語は官能的・主観的・文学的になりやすく、相対的に書字が主体になる世界語(覇権語)は機能的・客観的・科学的になりやすい傾向がありそうだが、日本語自体が文字ミックスとか、より官能側によりやすいように感じる。

 

官能的な判断や評価を重んじるほど、言葉での表現、文字での表現、さらには数字での表現を嫌がる傾向にある。とはいえ、「力」という意味では、言葉や書字や数字になるほど、複製が容易な分、スケーラブルで広がることによるパワーを得やすい。つまり、官能的なリアリティを重視することで、潜在的に失うこともある。「ペンは剣よりも強し」と言うが、これは話し言葉では得られない力でもある。一般論として、「言葉にならない」といって内側に抱えて終わりにするのではなく、現象をなんとか言語化・数字化・形式化していきたいと思うとともに、書字のスケーラビリティとともに、対話的な言葉がプレゼンスを保つとはどういうことかと、(独語系の自分が)考える。『対話編』というのはストレートなひとつの形だが。

 

 

 

 

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2014年11月21日追記:

話し言葉=対話言語が、そのまま書字化(文字化)されたのが、チャットだとすると、チャットは、話し言葉=書字として、インターネットプロトコルによって可能になった情報技術の中でも際立った特徴を持つ。SNSはどんどんチャット的コミュニケーションになってきている印象だけど、チャットという形式がひとつの北極星になっているのかもしれない。紙が貴重だった時代だと、書字と話し言葉のプロトコルが大きく違ったのは当然な成り行きだけど、書字のコスト(お金と労力)が限りなくゼロに近づくと、チャットの形で収束する。

 

その先に、脳波入力とか、話し言葉の更に奥にあるような「言葉」が出てきたら、言葉の形式はどうなるんだろうか。。。無意識的から発せられる夢遊的な言葉。もしかすると、それを無理やり探求しているのかもしれない。

*1:良い科学者は自然と対話していると思うけど、この対話は言語ではない比喩的なものなので、ここでは言葉による対話としては扱わない

*2:[]祈りと沈黙 - ideomics]