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オブジェクト思考ブロギング

翼ある言葉

人はみな初めに天使からこぼれ落ちて生まれてくる。
柔らかく光る肌にその痕跡を残している。
その乳香は芳しく、地上のものとは思えない。
彼らもやがて毛が生え、血を出し、欲にまみれる。
ヒトであることを思い出し、楽園を失う。
アダムはイブの血を知り、イブはアダムを肉を知り、楽園を失った。

 

ヒトの内臓から出る生暖かい息はやがて声となり、
その声から翼ある言葉が生まれることになった。
人は、この翼をもって、天上に向かう羽を得る。
天使の翼は失ってしまったが、翼ある言葉で人は天上に向かう。
天上に向かう翼ある言葉は、天井を突き抜け、オイコスの重力を追い越す。

 

大学とは、天使と動物をつなぐ梯子である。
天を仰ぎ人間 (human) ばかり見ていると、地に這うヒト (Homo sapiens) を忘れ、2つ足の動物が天使にしか見えなくなる。これを法学者と呼ぶ。彼らは動物の内臓や血肉の生温かさを知らない。地に這うヒト (Homo sapiens) ばかり見ていると、天に跳ぼうとする人間 (human) の翼を忘れ、動物の内臓と血肉しか見えなくなる。これを医学者と呼ぶ。彼らは翼ある言葉が飛ぶ先を知らない。

 

大学 (uni-versus) とは、二人の対抗弁論 (versus) と一人の審判からなる法廷である。二人の女神たちが、かたやポリスと旧約と自由市民を、かたやオイコスと新約と奴隷を、それぞれ観客につけて法廷の闘争を戦う。言葉においてかたや雄弁である。証拠 (evidence) においてかたや雄弁である。論理においてかたや雄弁である。情念においてかたや雄弁である。年老いた神学は哲学に審判の席をゆずり、この人もまた定年退職とととも科学にその席をゆずった。