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サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

祈りと沈黙

どこの土地でも古代から中世と言われるような時代では、アニミズムレベルにせよ、より洗練された神学を持った宗教の背景にせよ、敬虔な祈りをベースに造形作品がなされことが多かったのかもしれない。人間中心の世界観ではなく、人間外の何かを中心とした世界観での作品。


人間中心的な世界観に転回・・・天動説から地動説へと天文学の説が転回するのと逆を描くように、形而上の存在を中心した世界観から人間を中心とした世界観に転回・・・するのとともに、造形作品の価値基準は、作家という人間のテクニックやアイデアが中心となり、場合によってはその饒舌さを競うような価値観や体系の中で造形がなされていく。


言葉による説明が充実するにつれ、その納得感が増すにつれ、沈黙や(よくわからない)祈りは相対的な地位を低下させ、言葉の外にあった沈黙や祈りがかろうじて結晶していたはずの造形物も居場所を失っていくようなこともあったかもしれない。


「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という20世紀の前半に記されたフレーズの「沈黙」という部分は、わりと宗教的な意味でありえるのかと今更にながらに思ったり。人間中心主義を逆回転させるような向きでの。むしろ「祈り」と言い換えるべきか。


と無駄に饒舌な方に分類される私は、とある友人と造形作家の結婚式で思うのであった。彼の人生には、祈りと沈黙がある。