読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

ハンナ・アレントにおける政治の意味

メモ

『政治の意味とは自由である』(ハンナ・アレント

政治に「必要なもの」とか、政治の「目的」ではなく、政治の「意味」とは自由である。というアレントの言葉がずっと理解できず、時々思い出しては考える。


アレントの言いたかったこと・・・それは、いわゆる「熟議」ではなく、単に互いの話を聞くこと、なのではないだろうか。彼女は、"plurality"という概念を重視していたが、議論で「決着」したかったわけではなく、単に互いの話を、「よく聴く」ことを求めたかったのではないだろうか。アレントの政治観というと、熟議という言葉で理解されることもあるけど、熟議ということを言いたいのなら、きっとはっきりそう言っている気がする。議論で「収束」させたいわけでなく、互いを認め合う「コミュニケーション」そのものこそが「政治/politics」と言いたかったのではないだろうか(政治という言葉では、「祭り事で治める」という意味が漂いそうなので、以後"politics"という言葉で統一する)。疎通の開通させること。多様な意見を交通し、言葉(知)を発散させること。


「互いの自由を認め合うことそのもの自体」、そして疎通を開通させることが、すなわち"politics"である。そして、今現在の世界で一般に使われている意味での政治とは、「統治」のことであるとして、アレントは"politics"とは別なものだと区別していたのではないか。"politics"と統治/governanceは違う。統治とは決定すること。"politics"とは話し合う「だけ」のこと。結論へと収束を目指すタイプの議論ではなく、ナラティブの交換により、理解(あるいは共感)し合う行為のこと。彼女は『暴力について』で、権力と暴力と権威を峻別したが、同様に、"politics"とgovernance(統治)を峻別しようとしていたのではないだろうか。投票や多数決も統治/governanceの一種であり、それは"politics"ではない。


ジャーナリズムの銀河系 - ideomicsで試論的に定義した「ジャーナリズム」という言葉は、まさにアレントにおける"politics"の実践と知のあり方に相当すると考えてみる。統治でも政策論議でもない「"politics"空間」を現出させるもの・・・を「ジャーナリズム」のひとつの形として夢想してみる。一般で使われる意味でのジャーナリズムという言葉はとりあえず置いておいて、ここで想定するアレント的な文脈における「ジャーナリズム」。それは、(科学的な真理ではなく)価値の多様性や世界の複数性を拡大しようとする「知的な」試みである。pluralityを増加させる知的好奇心。疎通を開通させるネットワーク*1


"politics"と統治は異なる。そして、政策とも異なる。政策とは所定の目的に対して、「正しい」手順を決めること。それは、知の種類で言うと、アカデミックな作法に近い。「正解」への漸近を目指すから。だから、「政策」を支えるものが社会科学であり、"politics"を支えるものは、社会科学ではなく、「ジャーナリズム」である。ということになる。



*1:理想論すぎるだろうか・・・おそらくかなりの理想論だろう