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オブジェクト思考ブロギング

愛しのバロック、スペイン階段

小笠原伯爵邸というスペイン風(とされる)建物によく足を運んだせいか、なんとなくスペイン的な文化及びその周辺に興味が出てきた。特にバロック的なもの。ローマにスペイン階段という観光スポットがあるけど、これは数あるスポットの中でも、かなりのお気に入り。



スペイン階段はバロックの代表的な建築物とされている。バロックの世界観で、世界は劇場・人生は劇というのがあるが、まさにスペイン階段はそれをrepresentしている。階段から下を見れば、あたかも自分が舞台に立って観られているようでもあり、逆に階段状の椅子に腰掛けて、眼下の舞台を観ているようでもある(道行く人が役者さん)。階段下から階段を見上げても、自分が役者のような、逆に観客のような、そんな気持ちになる。言うまでもなくバロック=曲線・動きでもあり、曲線な造形と、階段という動きを誘発する仕掛けでもある。


完全な与太話だけど、ヨーロッパの歴史の主旋律のひとつを、バロック/ロマン主義に代表される情念とダイナミズムを重視する思潮と、古典/合理主義に代表される理性と秩序・システムを重視する思潮の繰り返し・波と考えてみる。アメリカは合理主義・啓蒙主義からロマン主義を経由せずに現代に至った国であると表現されることがあるが、それにならっていうならば、スペインはバロックがそのまま現代に至った国と言えるかもしれない。スペインが隆盛を誇っていた時代は、バロックといわれる思潮が前面に出ていた時代で、スペイン及びスペイン影響下のラテンアメリカには、バロックの痕跡が目立つ。



もっと歴史を遡って、ローマ帝国キリスト教化された変化を考えてみる。ローマとはまさしく古典・秩序のフェイズであり、それがキリスト教という情念・ロマン主義的なフェイズに遷移したと考えてみる。ローマ帝国をアメリカのアナロジーで捉えるならば、なぜローマがキリスト社会に変遷したかは、今後のアメリカの動向を考える上で示唆的かもしれない。とりあえず個人的には、歴史を重ね合わせるように気になる部分。


シンプルに考えるならば、キリスト教の勃興=奴隷達の革命という、階級闘争的な理解。キリスト教という原始には奴隷の宗教であったものが、奴隷達のイデオロギーとして、上流階級打倒に寄与したという理解。中国の共産党革命も、基本的には農民達の農民革命という階級闘争的なもので捉えられることも多いし、大抵の革命につきものの要素なので、妥当な話ではある。



あえてそこに思潮的な捉え方をするならば、ローマ帝国=合理主義、キリスト教ロマン主義として、繰り返す波の一環として考えることもできるかも。そもそもルネサンス=古典復興であり、バロック=反ルネサンス的なカソリックの反撃とするならば、ローマ帝国キリスト教は、ルネサンスバロックという形で反復されているわけだ。


それをアメリカに当てはめるとすれば、次の波はどんな具合でくるだろう。↑の話では、バロック/ロマン主義に代表される情念とダイナミズムを重視する思潮ということになる。例えば、アメリカ国内に広がるヒスニックの人々がアメリカ合衆国をどう変質させていくのか。アメリカ自体、移民によってこれまで幾多の変化を遂げてきたが、次の形はどうなるか?世界にも影響がある。


とりあえず個人のレベルでは、スペイン・ラテンアメリカ系の映画を観ることで感じてみることにしよう。旅行も行きたいんだけどね。