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サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

『ラス・メニーナス=ラ・ファミリア』 "Las Meninas = La Familia"


(Diego Rodriguez de Silva y Velazquez, 1656)


国王夫婦を視座として、夫婦がともに鏡にうつり、視界の中心にあるのは夫婦の娘、周りにいるのは娘の親密圏を構成する人々。家族とその視座の表象。子供からの視点というのは概して考慮されにくい・・・けれど、鏡に映る夫婦の姿は子どもの視点から見た姿でもある。子どもの認識と行動によって自分たちを認識する、まさに子は親の鏡。しかし、うすぼんやりしている。


Las Meninasは、『女官たち』と訳されるようだが、視点の中心(国王夫妻)や視界の中心(王女)といった構図の中心ではない周囲の人々が題名の中心になっている。当初の題名は、"La Familia"(家族)だったらしい。家族を狭く取ると、夫婦と娘の3人。女官とは排他的に定義される。一方で、Google翻訳によると、meninasは女の子たち (girls) に相当するらしい。Las meninasの意味する人物は誰から誰までだろうか・・・そしてこの題名が意味するものとは。

「最も基本的なものとして現れる、他者との関係は、この模範(モデル)においては、血縁関係でもなく友愛関係でもない。結婚という制度上の形式のなかで、しかもそれに重ね合わされる共同生活のなかで組立てられる場合の、それは男と女の関係なのである。・・・存在論的でもあり倫理的でもある、自然な特権が、ふたりのあいだのこの異性愛関係には与えられている、ただし他のすべての特権は犠牲にしたうえで。」(フーコー『自己への配慮』夫婦の絆)


ラス・メニーナス』・・・人間が主体であり客体となる表象としてフーコーが用いていたFigure 1。振り返ってみれば、主体=客体に位置するのはhomme (man)だけでなく、femme (woman)と一体化されたペアであり、性別だけでなく一個体ではなく二個体であった。この一体化された二個体が、自分たちの娘を中心とした「女の子たち」を見る。夫婦と娘の親密圏の関係論としての、"Las Meninas = La Familia"・・・女官たちでもあり、女の子たちでもあり、家族でもある。家族とは何だろう。家族とは一見血縁家族を意味するように思えるが、その家族の中心である夫婦とは、(多くの場合)非血縁的な結合である。家族の中心には、非血縁的な結合がある。

「女房、妻であるひとりの女性との関係が、当方の生き方にとって本質的である場合、そして、人間存在とは夫婦としての個人であり、その自然はふたりで共有する生活の実践のなかで実現されるのであれば、人が樹立する自己との関係と他者にたいして作り出す関係とのあいだには、本質的かつ根本的な不調和はありえないだろう。夫婦であることの術は、自己の陶冶の一部である。」(フーコー『自己への配慮』夫婦の絆)


「夫婦としての個人」・・・個人とは通常一個体を指すものだが、ここでは二個体=個人となっている。二個体が、in-dividual(分割できないもの)として定義される。夫妻が夫妻を鏡で認識する。自己認識(自分に対する認識、自分からの認識)に他人の認識(他人に対する認識、他人からの認識)が巻き込まれ、他人の認識に自己認識が巻き込まれる。自己認識と他人認識の巻き込み(折りたたみ、反射reflection)がある。自己認識と他人認識は互いに反射的 (reflective)。そこでは分割線をどこに引けば良いのか。

「自己陶冶における結婚というこの主題系の、つまり一つの哲学全体が展開してきたようなこの主題系の逆説は、以上のとおりである。すなわちそこでは、女性=妻は最高度の他者として価値が付与されているが、しかし夫は、彼女を自己との統一単位を形作る者としても認識しなければならない。」(フーコー『自己への配慮』夫婦の絆)


自己と他者:自己愛について - ideomics

時間的に、自我と自己は反射的 (reflective)。空間的に、自分と他人との関係が、自分(自我、自意識)と自分(自己、実存)との関係に折り返され、自分と自分との関係が、自分と他人との関係にまた折り返される反射的 (reflective)。内省=内政と外向=外交。内省=内政が、外向=外交に折り返される。時間的な自我と自己との関係(内省=内政)に対して、空間的に自分と他人との関係(外向=外交)がある。自我と自己との関係(内省=内政)は、自分と他人との関係(外向=外交)に反映され、また逆に、自分と他人との関係(外向=外交)が、自我と自己との関係(内省=内政)に反映される。二重の反射 (reflection)。


端に位置しながら、実際にこの絵画を描く画家は、同時に国王夫妻の位置にも位置することになる。国王夫妻の位置をシミュレーションしながら、「女の子たち (social) 」と「鏡の夫婦 (familial) 」と「自分 (individual) 」を認識し描く。分身するゴーストペインター(ヴェラスケス)が、自らを含めたindividual - familial - socialを表象する。このゴーストペインター=認識するものは、夫妻の位置を借りながら、世界を眺め、自分を眺める。確かにHomo sapiens(認識するもの=Homo sciens/science)である。転じて、自分や他人を一緒に認識する表現としてのHomo XXX。


"mort de l'homme"を『自己への配慮』から振り返ってみると、発見がある。絵画は空間的に再帰的 (recursive) な構造を思わせる表現だが、ヴェラスケス=フーコーの作品としても、時間的に再帰的 (recursive) に思考を誘発させる主題でもある。


自己への配慮 (性の歴史)

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