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オブジェクト思考ブロギング

『外科医の息子たち:ローレンツ・ボウルビィ・フーコー』:アタッチメントとデタッチメント

I 愛着行動 (母子関係の理論 (1) 新版)

I 愛着行動 (母子関係の理論 (1) 新版)

愛着理論の構成で、ボウルビィがエソロジーや進化論の話からボトムアップに構築的に理論構成しているのはなかなか圧巻。エリクソンが現象観察のまとめという感じだったのに対して、理論的な構成で、より説明的。飛ばし読みだけど、こういう仕事をしたいなと思わせるロールモデル。この理論の生物学・行動学・工学技術的な展開もしたいと思いつつ、これに並ぶ骨太な理論構築もしたいと思わせる。


幼少期の愛着レベルが、その後の対人関係に重要で、愛着レベルが社交資本のベースになってるとすると、愛着はまさに資本の中の資本。愛着関係の資本性。愛着関係が資産として蓄積されることで、社交関係を築く資本として機能する。定量的にはどう評価されるんだろうと気になる。貨幣、知識、社交関係は、それが元手になって、同種のものを生み出すという意味で、資本性がある。もちろん資本として機能しなくて資産として死蔵されてることも多々だけど。貨幣のcapitalist、知識のphilosopher、社交関係は何だろう。説明的にはsocial capitalistだけど。愛着関係の資本主義。*1


アタッチメント(愛着)が人生に重要だというのは肯定するとして、発達過程を先に進めていくと、アタッチメント(attachment)に対するデタッチメント(detachment)*2の肯定的な意義が気になる。思春期の独立としてのデタッチメント(detachment)。対比的に言えば、幼少期のアタッチメント、思春期のデタッチメント。自我の確立としての自立・・・生まれの共同体からの分離でもあり、自我と自己の分離でもある。自分の中に異物を感じること。アタッチメント=結合とデタッチメント=分離。結合と分離を繰り返す運動性能としての再結合性 (re-ligation = re-lig-iosity)・・・再結合的 (re-ligious)、あまりに再結合的な。


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監獄の誕生―監視と処罰

監獄の誕生―監視と処罰

フーコー『監獄の誕生―監視と処罰』の仏語原題は、"Surveiller et punir"で、Surveillerは、英語だとmonitor, superviseという意味らしい(グーグル翻訳による)。「監視」の内面化と規範化をポジティブに捉え直すと、主体化・主体形成に向けて必要なプロセスとして想定できるだろう。self-monitoring, supervisionと言えば、心理療法の世界の言葉だ。supervisionって独特の文化だけど、指導者 (superviser) の「監視 (monitor) 」の内面化により自らを主体化するプロセスであり、かつそれが屋根瓦式に伝達される(職業教育だけでなくクライアント教育の形でも)。そして、この心理療法の世界で形式されているプロセスは、家庭で親から子に暗黙的になされていることもである・・・「監視と処罰」による従属subject=主体subjectの実践。言い換えると、「見守りと規律」。


他人からの視線(ソーシャル)の内面化としての規律=他律(パノプティコン)にて自我が形成されていき、時間とともに形成されていく自己と向き合うことで自律=主体化=個体化(自己の統治)がなされていくという発達モデルを考える。「見られている」・・・他人の目の過剰な内面化。誰もいないところでも視線を感じる。ともすると、他律の過剰が非適応的な水準までいくことがあるにしても。

一方に、他人との関係から派生してくる「自己との関係」があり、他方に、同じように知の規則としての道徳律から派生してくる「自己の成立」がある。この派生物やこの離脱は、自己との関係が独立性を獲得することだ、と解さなくてはならない。(ドゥルーズフーコー』)

”他人との関係から派生してくる「自己との関係」”は、愛着理論ぽい話。愛着→内省→愛着の循環。ボウルビィ=愛着形成のエソロジーというところで、フーコー=主体形成をエソロジーとしてどう捉えるか、という課題。エソロジー(ethology)として、ethosの問題として。そして、ミクロな権力論(暴力とは区別された権威による力としての権力)と愛着の関係。

「自分自身からの離脱を可能にしてくれる好奇心・・・はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や試作をつづけるために不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ」(フーコー『快楽の活用』序文)

自分を自由化 (libertize?) すること - ideomics

passive(受動的:そのまま信じる)からresponsive(反応的:吟味や懐疑)からactive(能動的:思考)へ。受動的な知覚から反応を経て、そして能動的な思考へ。プロテンスタンティズム(抵抗主義)=反抗主義=反抗期=独立期を経ることで、自らを自由化=個体化=主体化すること。同期(同級生)との同期(シンクロナイズ)を経て、同期の世界から分岐していく。


快楽の活用 (性の歴史)

快楽の活用 (性の歴史)

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攻撃―悪の自然誌

攻撃―悪の自然誌

アタッチメント(同期)とデタッチメント(分岐)・・・特にデタッチメントを主体化(個体化)として、発達×ソーシャルに考えるモデル。人の歴史を時間空間的に分析的に見る。そのベースとして、人体構造(バイオ=解剖学的=外科学的)と行動(エソロジー)を考える、あるいは測定対象とする。

bio:物質的なメカニズム
psycho:発達の時間軸(ある時点においては、過去が折りたたまれたものとしての記憶*3
social:空間的な社交関係*4

bio-psycho-socialに、物質×時間×空間で考えてみる。まとめてホリスティックにやれば物語だし、分析度を高めると科学に寄る。中間は、脳画像の読影(coronal-sagittal-horizontal)のように、立体を断面で理解する方法。断面による読影臨床医学的な手法と言えるかもしれない。個人を物質的階層の深層に*5、時間軸として長く発達的に、空間的に拡張して社交関係として、延長された表現型 (extended phenotype) としての個人 (individual) を捉える。その断面を解剖し、変容を試みる。外科医=解剖学+手術の方法。

*1:話はそれるが、愛着の提供と貨幣の関係。性愛については男性を中心にお金がチャージされまくっている。性愛とは別様なタイプの愛着の提供は、ある条件ではお金がチャージされることが一般的になるか。「愛はお金で買えない」と考える人たちによって世界のかなりの部分が支えられているとしても、この言説自体は、その人たち自身と切り離した上で、妥当だろうか。どうだろう。さすがに博愛とは区別するのが妥当だと思うけど。

*2:ボウルビィの用語では脱愛着として否定的な意味で使われているようだが、思春期の独立の意味で用いたい。

*3:”<記憶>こそは、自己との関係、あるいは自己の自己による情動の、ほんとうの名前である。カントによれば、時間は、そのもとで精神が自己に影響するような形態であった。ちょうど、空間が、そのもとで精神が他のものに影響されるような形態であったように。”(ドゥルーズフーコー』)

*4:=pneumatic=霊的=光・音・熱・圧

*5:RDoC