ideomics

オブジェクト思考ブロギング

医X美:「レオナルド&ミケランジェロの解剖学」から「次の形」へ

「医美」という医学生X美大生で作品を制作するというグループの展示に行ってきた。

http://ibi2011.web.fc2.com/

美大生が人体・医学にインスピレーションを得て作品を構想し、医学生が知識面などでバックアップして作品を完成させるという試み。10点程度の構成だったが、楽しく見させてもらった。



(Michelangelo's Creation of Adam )

ミケランジェロの「アダムの創造」において、右側の神様達の構成は、脳の断面の描写になっているというJAMAの論文があったが*1、レオナルドといいミケランジェロといい、人体解剖学への好奇心が強かったようだ*2。とそんなことを思いながら展示を見ていた。無理やり人体に「美」を見出す必要はないが、探求の仕方として、一般の医学の文脈から離れ、美大生の視点を借りるのはとても面白い試み。


神学的世界観から人文主義的な世界観へ移り行く時代の象徴とも言うべき二人が、人体へのリアリズムへの固執が強かったのは示唆的だ。美術家が医学的知識に興味を持ったという理解よりは、医学と美術が分化する以前の好奇心・探究心と解釈した方が良さそう。てかそもそも、当時って「美術」という観念はあったのだろうか。


ユマニスム(人文主義)からマシニズム(機械主義)へ - ideomicsのように、近現代にかけて、人文主義(ユマニスム)から機械主義(マシニズム)の世界観へと移行するとするならば、現代のレオナルドやミケランジェロは機械論的な構造へのリアリズム的固執が強いのかもしれない。


機械論的な人間理解の代表と言えば、分子生物学であろうが、分子生物学はある意味解剖学だ。より解像度の高いミクロなレベルでの解剖学。生物を細かく部品に分けて見るという意味において解剖学。ヴェサリウス*3の正当な後継者。ちなみに、東大解剖学教室は、マクロ解剖学の養老さん*4から、分子生物学の廣川さん*5へバトンタッチされた*6


今のアートの多くが、人間なるものを中心に据えたユマニスムの感覚をベースにしているとしたら、来るべき次の形は、人間=機械論をベースにしたマシニズムの感覚をベースにしたものとなるのかもしれない。マシニズムの感覚的な表現と探求へ向かって、「来たるべき次の形」の始祖となる可能性はあるのだろうか。次のレオナルドは、分子生物学的な理解の探求から生まれるのだろうか。


2007年9月7日のCell誌(分子生物学の最も権威ある雑誌)は、荒木飛呂彦*7が表紙を描いて話題になったが、これは何かの前触れか?

*1:Meshberger, et al. "An Interpretation of Michelangelo's Creation of Adam Based on Neuroanatomy", JAMA. 1990;264(14):1837-1841. http://jama.ama-assn.org/content/264/14/1837.extract?sid=aae901f3-d4b2-4d20-84c0-9ed1830c8a41

*2:カポディモンテ展雑感 - ideomics

*3:アンドレアス・ヴェサリウス - Wikipedia

*4:養老孟司 - Wikipedia

*5:廣川信隆 - Wikipedia

*6:どうでもいいが、両方栄光学園

*7:伝え聞くところによると、荒木さんはミケランジェロが大変お好きで、JOJOの奇怪なポーズはミケランジェロ以降のマニエリスムを更に押し進めたものだとか。