ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

現代建築家コンセプトシリーズ

簡素な体裁ながらも、気持ちの良いデザインと文章。晴れた秋の休日に、微風を楽しみつつくつろぎながら読むには最適な本。


シリーズの中では、藤本壮介氏とアトリエ・ワンのものが良かった。内容もさることながら、特に「コンセプト」というものをしっかり提示しつつ、しかし論文調にはせず、詩的に表現している点において。職業は違えど、このような表現(文章だけでなく、絵やモデルや本の装丁も含めて)をできるようになりたいものである。


藤本氏いわく、「建築とはコミュニケーション・距離感の設計」とのことであり、興味深い住宅群のプレゼンテーション。アトリエ・ワンは、題名の「空間の響き 響きの空間」という表現もさることながら、「環境を読み取る知性」「都市の知性」といった視点からの設計が面白かった*1


全体として、このシリーズに共通しているのは、建築の内部志向・空間志向だと思われた。建築家として仕事を受けるようになってから、ずっと日本が不況で、大きなことができず、細かいところに着目するようになったという、社会状況と絡めた(ややネガティブな)見方もできるが、むしろ、建築という体系の中での進化とも捉えたい。


というのも、近代建築がコルビジェの宣言=機能への還元、機能のミニマリズムから始まったとして*2、近代以前の建築が、城や教会・聖堂のように、外から見た威厳・エクステリアの素晴らしさで勝負するものだとしたら*3、近代以降も建築の可能性は、やはり内部空間に求められると思うから。基本的に公共建築であるほどエクステリア志向になる*4。若手は、公共建築の機会が少なく住宅設計が多かったゆえもあるだろうが、以前の建築家より、内部でいかに気持ちよく過ごせるかに、圧倒的にコンシャスな気がする。


内部空間の可能性については、例えば磯崎新が「空間へ」などで触れているし、そもそも古代ギリシアの時代から、そういった価値軸は連綿と続いてきたに決まっている。そもそも発祥が住まいであるし。が、特に現代における、内部空間の気持ちよさの追求・可能性を強調したい。


というのも、背景にサイバースペースの進歩があるため。サイバースペース、主にインターネットによって、建築の機能的な重要性は低下している。ショッピングにしても、公共サービスにしても、場合によっては仕事さえも、あまり物理的な建物と関わらずに、ネットの中である程度完結できる。人によっては、建築の死を唱える人もいるくらい。


その中で(物理的な存在の)建築というものが意味を持ちうるとしたら、機能よりも、むしろ、内部空間の気持ちよさではないだろうか。感覚的な満足=五感アート的な意味での満足・・・機能としての価値より、いかに感覚が満たされるかという価値軸での評価が大事になると思われる。


数年前、大阪の国立国際美術館で、「三つの個展 須田悦弘 今村源 伊藤存」という現代アート作家の展示があったが、中でも、須田悦弘の《睡蓮》*5という作品が今でも強い印象に残っている。1.5m*1.5m*3.0m程度の小部屋に、直径1m程度の黒い漆の盆があり、そこに睡蓮の造形がのっている・・・極めてシンプルでありながら、何と言う完成された空間かと感銘を受け、中にしばらく座っていた。そもそも私が建築というものに興味を持ったのは、その作品がきっかけである。空間がいかに、気持ちよくそして緊張感と荘厳さを持ち、瞑想や思慮を誘発するものであるかを体感したことによって。



須田悦弘《睡蓮》)


限りなくスキーマティックにしてしまうと
近代以前=エクステリアの美的な価値
近代=機能的な価値
現在=中に居ていかに気持ちよく過ごせるか
もちろん、こんな単純な話ではないけれど。


建築だけでなく、他にもファッションの世界も似ている。外からの見た目の文脈で語られることが多いが、もっと内側=着心地で語ることはできないだろうか。ファッションは建築よりも、一層直に感覚に訴える。そのために必要な語彙や表現とは何だろうか。ファッションもエクステリア(外見)の追求だけでなく、インテリア(内部=着心地)の追求と向かいうるだろうか*6。いずれの世界もまだまだ興味深い。




*1:詳細は実際の本にて

*2:とはいえ、古今東西の名建築は後に述べるような内部空間の気持ちよさがあるからこそ、「建築」として評価されるわけだし、とりわけコルビジェはそうであろう。

*3:最たるはアルベルティのファサード

*4:例えば東京都庁

*5:2002年作、アサヒビール大山崎山荘美術館

*6:アルマーニや、(イギリス仕立てに対する)ナポリ仕立てなんか?