ideomics

オブジェクト思考ブロギング

未知の知

「それゆえに人間の神認識の究極は、人間が『自分は神を知らない』ということを知ることであり、自分が認識するかぎりにおいて、神が何であるかは、われわれが神について理解するすべてのことを超えていると知ることである。」(トマス・アクィナス

神という部分を、無限・自然・存在と言い換えてみる。無限・自然・存在の未知を感じること。無知の知と似ているが、あえて異なるものと解釈しようとすれば、未知にこそ価値をおくこと・・・既知や予知に回収しないで。


未知を尊重すること。おそらく自由の源泉のひとつだろう。既知や予知に回収しようとすることは自由に反することがある。まったくの未知=他者を投影するものとしては、「わけのわからないもの」「予測のつかないもの」・・・自然現象、異邦人、子供、狂気。未知=他者を感じることで、反応が予測できな自由な「たましい」を想定する。闘争やスポーツは結果が既知であるほど面白くない。未知の楽しみのひとつの例であり、「他者」との出会いの最たるもの。伝聞だけど、カール・バルトによると、「神とは『まったくの他者』」らしい。


しかし、未知のものは統治=コントロールとは相性悪い。叡智のひとつであったとしても、統治とどういう関係になるのかどうかはよくわからない。