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オブジェクト思考ブロギング

スタバなう - Citizenship at Starbacks

アメリカのスタバでは、独立記念日にコーヒーをサービスにして、「アメリカの未来を語ろう」という特別な日にしたとか。イタリアのカフェにインスパイアされたと聞くけど、スタバは昔のコーヒーハウス的な伝統を再発明しようとしているのか。


コーヒーハウス的な日の当たる「昼の談義」も魅力的だが、時間帯によって誘発される話も変わりそう。夕方以降はあんまコーヒー飲む気しないけど、軽く飲めるアルコールが欲しいところ。スタバのお酒出す店舗はどんな感じなんだろう。スタンディング的なスタバカジュアルに一杯軽く話ながら飲めるところは欲しい気がする。居酒屋談義というと蔑称的だけど、コーヒーハウス的なある種のシチズンシップの実践としてのバー(アルコールを提供するところ)、スタバカジュアルなそれ、というのは想像するには素敵。居酒屋とは違うアーキテクチャによっな誘発されるものも違うだろうし。


イタリアのカフェをより多くの人にアクセスしてもらおうと、ある意味"democratize"したスタバだけど、コーヒーハウスやパブといったイギリスにおいて公共的な討議を担うと(半ば神話的に?)捉えられている施設を、さらにグローバルに"democratize"するという想像もあっても良いかもしれない。


嗜好飲料の話は、『世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史』がかなり面白かった。原題はA History of the World in Six Glassesとお洒落。まさに嗜好品が動かす世界史。


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シュルツ氏とか見ると、シアトルに西海岸というよりGreater New Englandという言葉を使いたくなる気持ちもわかるような(行ったことないけど)。シュルツ氏やゲイツ氏、ベゾス氏と、シアトルにこういった経営者がいるのは、何か文化的な理由があるのだろうか。アメリカに住んだことないけど、都市ごとに求められる知性のあり方が違う(ワシントン、ボストン、シカゴ、NY、SF、LA…)というのは、多くの人に救いなのかも。逆に一極集中は、その都市にフィットしない人には面白くない社会かもしれない。


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130710-00000001-voice-bus_all

司馬遼太郎が「文明」という視座をもちえたのは、彼が大阪出身だったことも大きいでしょう。・・・たぶん村上春樹が世界文学になりえたのも、彼が神戸出身であることが影響しているのでしょう。東京への違和感をバネにして、東京を超えて世界を見るという、移動性の高い視点です。

東京に暮らす違和感とか逆に埋没感は最近とみに感じる。むしろ、埋没感>>違和感なんだけど。