「第4世代の大学」論
論文の抄読界で、ひさしぶりに大学に行った。古い建物にどんよりとした空気だけれど、なぜか居心地が良い。やはり自分の居場所は、長い目で見たら大学といった施設なのだと思う。
論文の抄読会では、その論文に関してディスカッションするのだけれど、上の先生と議論できるレベルではなく、基本的に拝聴するのみ。だけれども、ディスカッションを通じて、研究が進んでいくのだなァとしみじみと感じることができる。ハイゼルベルクが自伝「部分と全体」にて、「科学とは対話である」と述べていたが、ほんとよね。
最近(というか昔から)思うのは、大学におけるこのディスカッション機能をもっと体系化できないかということ。前述のエントリでも触れた通り、大学を討議の場とするプラン。科学の世界においては、シンポジウム*1という形でよくあるが、例えば政策に関する議論においても。いや、むしろ政策に関する討議こそ、討議の元型と言えるかもしれない。
大学universitasの始まりとして、ボローニャ大学がよく挙げあられる。もともとは教育、特に神学、法学、医学などの専門職養成教育を主たる目的としていた。研究は個人の私的な学究として存在していたようである。研究自体(特に基礎的な研究)が大学のシステムとして体系化されてきたのは、国家が興隆し、資金を提供できるようになった頃からのようである。今イメージされる大学というと、まさにこれ。
20世紀の後半になると、教育や研究といった文科省的な機能だけでなく、事業的な応用研究、はたまた事業創造・インキュベーションも使命の中に入ってくる。スタンフォードなんかが代表例であろうが、事業という性質上、企業との関わりも多くなる。
Center for Clinical Science, Stanford University
既に多くの機能を負わされている大学という施設であるが、知の集結地点としてのポテンシャルを活かすならば、さらなる機能を期待したいところ。それが、上記の議論・交流しての機能を持つこと。そして、それに相応しい資金源(公共討議という性質から言えば、市民からの寄付が望ましい)を持つこと。便宜的に第4世代の大学と呼んでおく。社会で流通する話題のagenda settingができたら、パワーを持つという意味でも意義がある。
例えば、CFR(Council on Foreign Relations*2)のような議論の場ができたら素敵だ。イギリスでは選挙のシーズンに、公民館的な場所で討論がよく開かれると聞くが、そのような形になったら面白い。既に小宮山総長時代に、市民への公開シンポジウムが開かれているが、それが加速すればいい。土日にアイドリングしているスペースを活かすならば、施設利用の観点からも合理的である。
スキーマティックに整理するならば、こんな感じ。
世代 | 代表例 | 主目的 | 資金源 |
---|---|---|---|
1 | ボローニャ大学 | 教育 | 授業料、教会 |
2 | ベルリン大学 | +基礎研究 | 国家 |
3 | スタンフォード大学 | +事業創造 | 企業、富豪 |
4 | ?大学 | +公共討議 | 市民 |
第4世代の大学にむけて、そのためのシステムやハードウェアの設計について考えたい。
*1:日本語で講演会といった形で訳されることもあるが、もともとは討論会という意味
*2:Council on Foreign Relations:アメリカ外交評議会、フォーリンアアフェアーズとか発行しているところ。