ideomics

オブジェクト思考ブロギング

自閉症児の世界観

私たちの認知はハードウェアに規定されている。350-800nm程度の波長の光や、20-20000Hz程度の音しか捉えられないし、磁場を正確に感じることもできない。人の顔の認識も意外とハードウェアに規定されていて*1、例えばFFAと呼ばれる脳の領域が、他のモノの認識とは異なり特別に使われていると言われている。つまり、ヒトにとって、ヒトの顔というのは特別な地位を持っている。写真を見てもまず人の顔に眼が行くことを想起すると、さもありなんなこと。


自閉症児は人の顔を見る際に、FFAの働きが乏しかったりなかったりするという研究がある*2。確かに実際に臨床の場面でも、ヒトとモノと特に区別していない様子も子を見かけることがある。そういった子に眼差された時も何とも言えない戦慄は忘れがたい。自分がモノとして異化されていくような、そんな感じ。顔の認識は後天的に学習できるものだけど、フレッシュな幼い子の認知を想像するのはなかなかチャレンジングで興味深い。


こういった特徴は、社会生活を送る上では不利になりがちな特質だが、我々の認知のあり方にフレッシュな視点を投げかける。ヒトを特別視せずに、他のものとフラットに眺めるとしたら、より自然科学と親和性が高いかも。あるいは、ユマニスム(人文主義)からマシニズム(機械主義)へ - ideomicsの世界観に近いかも。人の表情に限らず、誰しも何らかのバイアスを持って世界を眺めている。


自閉症児の視座と自分の視座の位相を捉えてみること。そこから、別様な視座へと移動を試みること。


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とはいえ、視座の独特さは自閉症児だけのものではない。ある程度年齢を重ねたものにとって、子供は皆よくわからない世界観を持っていると言える。幼ければ幼いほど、我々との位相は大きくなる。



君の見る世界は何色なのかな♪
二人の言葉で教えてよ♪

赤ちゃんの脳は白いキャンバスに例えられることがあるけれど、白いキャンバスもかなり凸凹で、しかも人によってその凸凹具合が違っている。そんな凸凹の違いで、物事の捉え方も違ってくるし、描かれる絵も変わってくる。


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松田道雄さんの本は子育ての古典として今も親しまれているよう。赤ちゃんや子供の目線から語りかける形で構成。どの程度彼らの肉声に近づけているかわからないが・・・

 
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子供の認知に近づくにはどうしたよいだろう。プラクティカルにいっても言語習得なんて羨ましい感じだが。自分達の視座と彼らの視座の位相から、何か産まれないものだろうか?知性ある無知へと近づくためには?。


私は子供の頃にはラファエロのように描くことができた。子供のように描けるようになるためには一生を費やした。(パブロ・ピカソ

医X美:「レオナルド&ミケランジェロの解剖学」から「次の形」へ

「医美」という医学生X美大生で作品を制作するというグループの展示に行ってきた。

http://ibi2011.web.fc2.com/

美大生が人体・医学にインスピレーションを得て作品を構想し、医学生が知識面などでバックアップして作品を完成させるという試み。10点程度の構成だったが、楽しく見させてもらった。



(Michelangelo's Creation of Adam )

ミケランジェロの「アダムの創造」において、右側の神様達の構成は、脳の断面の描写になっているというJAMAの論文があったが*1、レオナルドといいミケランジェロといい、人体解剖学への好奇心が強かったようだ*2。とそんなことを思いながら展示を見ていた。無理やり人体に「美」を見出す必要はないが、探求の仕方として、一般の医学の文脈から離れ、美大生の視点を借りるのはとても面白い試み。


神学的世界観から人文主義的な世界観へ移り行く時代の象徴とも言うべき二人が、人体へのリアリズムへの固執が強かったのは示唆的だ。美術家が医学的知識に興味を持ったという理解よりは、医学と美術が分化する以前の好奇心・探究心と解釈した方が良さそう。てかそもそも、当時って「美術」という観念はあったのだろうか。


ユマニスム(人文主義)からマシニズム(機械主義)へ - ideomicsのように、近現代にかけて、人文主義(ユマニスム)から機械主義(マシニズム)の世界観へと移行するとするならば、現代のレオナルドやミケランジェロは機械論的な構造へのリアリズム的固執が強いのかもしれない。


機械論的な人間理解の代表と言えば、分子生物学であろうが、分子生物学はある意味解剖学だ。より解像度の高いミクロなレベルでの解剖学。生物を細かく部品に分けて見るという意味において解剖学。ヴェサリウス*3の正当な後継者。ちなみに、東大解剖学教室は、マクロ解剖学の養老さん*4から、分子生物学の廣川さん*5へバトンタッチされた*6


今のアートの多くが、人間なるものを中心に据えたユマニスムの感覚をベースにしているとしたら、来るべき次の形は、人間=機械論をベースにしたマシニズムの感覚をベースにしたものとなるのかもしれない。マシニズムの感覚的な表現と探求へ向かって、「来たるべき次の形」の始祖となる可能性はあるのだろうか。次のレオナルドは、分子生物学的な理解の探求から生まれるのだろうか。


2007年9月7日のCell誌(分子生物学の最も権威ある雑誌)は、荒木飛呂彦*7が表紙を描いて話題になったが、これは何かの前触れか?

*1:Meshberger, et al. "An Interpretation of Michelangelo's Creation of Adam Based on Neuroanatomy", JAMA. 1990;264(14):1837-1841. http://jama.ama-assn.org/content/264/14/1837.extract?sid=aae901f3-d4b2-4d20-84c0-9ed1830c8a41

*2:カポディモンテ展雑感 - ideomics

*3:アンドレアス・ヴェサリウス - Wikipedia

*4:養老孟司 - Wikipedia

*5:廣川信隆 - Wikipedia

*6:どうでもいいが、両方栄光学園

*7:伝え聞くところによると、荒木さんはミケランジェロが大変お好きで、JOJOの奇怪なポーズはミケランジェロ以降のマニエリスムを更に押し進めたものだとか。

医療制度の勉強会:病院とマネジメント

先日医療制度の勉強会に参加させてもらった。(研修医→コンサルタント→MBA留学という経歴の)大学の先輩が講師として、プレゼンテーション+ディスカッション。講師、主催の皆様ありがとうございました。


医療とマネジメントというトピックだったが、まずこんな研究を紹介された。


Management in Healthcare: Why good practice really matters
http://worldmanagementsurvey.org/wp-content/images/2010/10/Management_in_Healthcare_Report_2010.pdf


マッキンゼー、HBS、スタンフォードLSEなどピカピカな施設が共同で、病院にインタビューを行い、臨床指標からマネジメント指標を幅広く集め解析したものらしい。まだ読んでないが、端的に言うと「マネジメントが優れている病院は、臨床的にも優れている」ということみたい。


研究主体から結論にバイアスがかかるのは当然としても、おそらくそうだろうなと思う。マネジメント=金儲けと短絡してしまうと、医療サイドはマネジメントなる言葉にかなり敵対心を持ってしまうようだが、さすがにマネジメントをそこまで矮小化するのはもったいない。


(ちなみに、本題とは関係ないが、この調査の前に10日かけてインタビュートレーニングを行ったとか。このあたりのインタビュースキルのトレーニングはすごく気になるところ。というのは、人から話を聞くのってひとつの「技術」だから。MBA = liberal arts ? - ideomics「イシューから始めよ」 安宅和人著 - ideomicsの文脈も含めて気になる。ほんとは、精神科もmedical interviewの技術という文脈でリベラル・アーツに貢献しうるのだろうけど。)


講師の先輩からのメッセージは、病院によりしっかりしたマネジメントの導入を、ということだったが、必要とされるのは、まず以下の3つと。

①ミッションと価値の設定・共有(多くの病院に存在しているが、あまり考えられておらずだいたい似たようなものが多いし、そもそもスタッフに共有されていない)
②強力なリーダーの育成
③インプット・アウトプットの見える化(例えばトヨタなんかを参考に)


人材の育成が鍵になると思うが、これはこれからの課題。はたして和製MBAは、医療経営に資するのか?などの疑問は生じた。一番早いのは、③だろう。工業生産におけるcritical pathを参考にカレン・ザンダーKaren Zanderなる看護師が導入し、現在clinical pathという形で広まっている手法がある。このあたりをフックに、さらに工業生産や他の分野から知見を導入できたらいい。clinical pathって一見あんまり面白くないかもしれないけど、結構奥深いかも。病院におけるマネジメントの必要性ってトピックに上がるものの、あまり詳細な話はしないので、踏み込んで具体的な戦略に繋がるような話は新鮮だった。


あと強く同意したのは、中小規模の総合病院は今後成り立たないんじゃないかという点。入院をしっかり見るにはマンパワー足りないし、でもそれなりに頼られる。今後の病院のあり方としては、大規模総合病院か専門特化の中小規模病院のどちらかが良さそう。そのためには、経営を変革するだけでなく、M&A的なことも必要になるかもしれない。投資銀行から見ると非常に魅力のない案件であるが、どうやって「マイクロM&A」を誘発するかは面白そうなトピック。どちらかというと、LinkedInのようなジョブマーケットを参考に、SNS的なマッチングが合うのかな。金融っていうよりは別様な感じもする。中小企業のマイクロM&Aも含めて考えたい。

suicide study

デュルケムの「自殺論」といえば、社会学の古典として、いわゆる必読書とかのリストに入ってたりする。ちゃんと覚えてないけど、プロテスタントの方がカソリックより自殺者の割合が多いなどのデータを引き合いにして、つながりの弱いコミュニティで自殺者が多いといった話をしていたような記憶がある。*1


彼が自殺論を書いたのも、自殺者の増加という背景があったのだろうが、今の日本もかなり多い。統計がどれくらい信用できるかは疑問ではあるが*2、発表では3万人を超えている。しかも他の死亡原因と違って、若者や壮年者もそれなりの割合で含まれる。明らかに大きな不幸だ。



(警察庁より)


精神医学の世界では、自殺に至るまでにうつ病など精神疾患に罹患している割合は○%といった話がなされるが、事後的に判断するにも限りがあるし、精神疾患を重要な因子として考えたいかどうかという個人的な考えに大きく左右されているような気がする(数値も一定しない)*3。経済的な背景がどの程度で、といった話も詳細は不明だ。他の領域で一般的な動物モデル研究というのも成り立ちにくい。


精神医学的なアプローチは大事であることは間違いないだろうが*4、もっと社会学や経済学といった分野と共同してアプローチできると、自殺をとりまく状況が今よりも詳しく把握できそう。自然科学の分野では共同研究が大事といわれるが、今後は社会科学の研究室とコラボしていけたら、更に世界が広がりそうだし、より大きな課題にぶつかっていける。(他にも発達障害の研究・臨床も教育・教育学関係の人と一緒にやれたら良いのだろう。)


デュルケムは、今で言うところのソーシャル・キャピタル*5に注目し、ソーシャルキャピタルと自殺との相関関係/因果関係を考えた点で、社会精神医学的先駆者とも言える(例えばクリスタキス氏といった人の先人と言えるかもしれない)。医学に引きつけて考えるなら、「介入」や「治療」まで視野にいれてこそだが、それは今後の課題なんだろう。少なくとも、うつ病を早期発見して、早めに治療をというだけではない何かが必要そうだし、大きなチャレンジ。仮にソーシャル・キャピタルに自殺への抑止力があると仮定すると、その増大にはどういう方法がありうるかといった課題になる。かと言って、ソーシャル・キャピタル測定しづらすぎだし、介入の検証ができることもほとんどないし、なかなか白昼夢的なのだけれど。


他の医療もそうだけど、理学風にメカニズム云々と探すより、工学的に解決そのものを試行錯誤して試して行く方が早かったりすることも多いという感覚はある。メカニズムはブラックボックスでも、何か有効なものが見つかればいいじゃん、といったプラグマティズム。仮に何かしらの抑止力がありうるとしたら、現状(自分の頭では)ソーシャル・キャピタルくらいしか思い付かないが、他にも何か別なアプローチはあるだろうか。



(警察庁より)



孤独なボウリング:パットナム


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2014年8月9日改訂

*1:エミール・デュルケーム - Wikipediaによると、宗教のデータは誤りだそうだが

*2:1998年に急に増加しており、金融危機によるものか、あるいはもしかしたらデータ処理の変更などがあったのかもしれない(不詳)。そもそも自殺かどうかって判定難しい

*3:例えば、自殺という行動を違うカテゴリー(診断群)にすべきなど、アグレッシブな意見もある。論理的には今の診断体系の考え方にフィットはするが、すぐには一般的な同意は得られなさそう。参照:"Mental health: A road map for suicide research and prevention"

*4:とはいえ、笹井氏自殺 - 精神科医の本音日記ははまさにブログタイトル通りの本音かもしれないが

*5:ソーシャル・キャピタル - Wikipedia

ニコラス・クリスタキス - 肥満は感染する?

2007年にNew England Journal of Medicine*1に衝撃的な論文が掲載された。なんでも、肥満が「感染」するというのだ。論文の著者が書いた「つながり」という一般向けの本もかなり話題になった。


もちろん、肥満がウイルスや細菌のように感染するわけではない。その人が属するソーシャルネットワーク/クラスターによって、肥満となるリスクが大幅に変わるということ。つまり、太った友達が多いクラスターに属していれば、自分も太っていることが多いし、その逆も然り。言われてみれば何のことはないが、それを実証的に示した意義は大きい。異論はそれなりにあろうが。


もしこれが妥当な事実したら、社会的な介入への糸口になるかもしれない。たとえば、ある肥満児を、非肥満児のみで構成された環境(学校とか)で育ててみたらどうなるか?知りたいところ。


個人的にさらに興味が湧いたのは、共著者のこと。著者のChristakisはハーバードの医者だけど、共著者のFowlerはカリフォルニア大学サンディエゴ校の政治学者。つまり、医学者と政治学者のコラボレーションなのだ。他に知らないだけだけど、こうやって人文系の人と医学者がコラボして医学系論文を書くって、医療経済以外ではあんまりなさそうなので、そういう意味で興味深い。当然FowlerはFowlerで、政治学方面で別個論文を書いている。


共同研究が大事と言われており、大型の予算をつけるために幾つかの研究室で共同研究するのは最近のトレンドだけど、自然科学系だけでなく、社会科学の研究室とコラボするのは多くはない。しかし、今後自然科学系+社会科学(ないし人文科学)系のコラボレーションは重要かつ面白いものになるのではないかと思う。まあそもそもそんな区分け自体がきっと意味ないんだけど。


ソーシャルネットワークということでウェブ関係の分野でも話題になった。


もちろん医学・疫学の文脈で、方法論としても回収したいところ。このソーシャルネットワーク解析は。精神医学への応用も自殺・うつ・アルコールなどで考えられるが、既に同じ方法でうつとアルコール依存で論文が書かれている。従って、同じ方法を使おうとしても意味がないし、第一面白くない。今後展開しうるとしたら、どんな方法がありうるか?ソーシャル・キャピタル関係で何かアイデアはないものか?考えてみたい課題。



クリスタキス・ラボ
http://christakis.med.harvard.edu/index.html



N.A. Christakis and J.H. Fowler, "The Spread of Obesity in a Large Social Network Over 32 Years," New England Journal of Medicine 357(4): 370-379 (July 2007)
http://christakis.med.harvard.edu/pdf/publications/articles/078_ed.pdf

J.N. Rosenquist, J.H. Fowler, and N.A. Christakis, "Social Network Determinants of Depression," Molecular Psychiatry 16(3): 273-281 (March 2010)
http://christakis.med.harvard.edu/pdf/publications/articles/117.pdf

J.N. Rosenquist, J. Murabito, J.H. Fowler, and N.A. Christakis, "The Spread of Alcohol Consumption Behavior in a Large Social Network," Annals of Internal Medicine 152(7): 426-433 (April 2010)
http://christakis.med.harvard.edu/pdf/publications/articles/108.pdf


参考までに:ネットワーク研究のパイオニアといえばバラバシ。
バラバーシ・アルベルト・ラースロー - Wikipedia

*1:臨床医学の最も権威ある雑誌のひとつ

フィットネスクラブとは医療機関である

認知症予防に唯一エビデンスがあるのは、運動と聞く。議論の余地はたくさんありそうだけど、糖尿病や心臓疾患はじめ色々な慢性病に運動・スポーツが良さそうなのは直観的にコンセンサスが得られるところ。医療を単に病気を治すというマイナスをゼロに戻すだけのものと捉えるのではなく、もっと積極的に「健康度」をアップさせていくものと捉えるなら、フィットネスクラブとは医療機関である。



女性限定フィットネスクラブBIVIO | KANZANより)


・攻めの医療:フィットネスクラブ
・守りの医療:病院

と対置してみる。


病院とは陰鬱な響きである。そして、多くの病院は陰鬱だ。もっと医療という響きに明るくポジティブな雰囲気をもたらしたければ、医療機関の定義を広くしてみるのは一手だ。特にリハビリ施設とフィットネスの垣根を曖昧にしていくのはありだろう。リハビリの陰気な印象も変わるかも。作業療法士とスポーツトレーナーにある程度互換性はありそうなので、そこから雇用を生み出すとともに、フィットネスクラブと医療機関の垣根を崩していけるかもしれない。


ただ、なかなか実証的ではないところが難しい。よくわからない民間療法が乱立してもイマイチなので、実証(エビデンス)を集めることが大事。運動関係のエビデンスを作るってのはチャレンジングだけど、興味深い。


アメリカではこんなサービスもあるらしい

・XRkade
http://www.xrkade.com/(なぜか今繋がらない)

アーケードゲーム+フィットネスで楽しく運動するというコンセプト。ダンス、スケボーなどシミュレーション的なゲーム感覚の機械を置いているらしい。なんでもダンス・ダンス・レボリューションから着想したとか。コロンブスの卵だね。


Nifty after Fifty
Nifty After Fifty | The Fitness Center For Your Classic Years

高齢者向けのフィットネスクラブ。高齢者は一般に高齢者向けの施設を嫌がると言われるが、適当なエクスペリエンスデザインがあれば、そんなことはないのかもしれない。だって実際きついものもあるわけだし。うまくマーケティングしているのかな。


フィットネスクラブも医療法人としてもいいんじゃないか、とちょっとアグレッシブに言ってみる。ともあれ、健康を(病気がないという意味の)ゼロと捉えるのではなく、もっと上を目指せるポジティブ=プラスの数値として捉えるのはありなんじゃなかろうか。

クレイグ・ヴェンター(John Craig Venter)と合成生物学

NIHのヒトゲノムプロジェクトに対抗して、セレラ・ジェノミクス(Celera: Celera: Personalizing Disease Management)を率いて民間でのDNAシークエンスを進めたヴェンター。何かと人騒がせな人だけど、2010年には合成生物*1を発表し話題になっている。



彼らの成果がどれほど科学的に意味があるかは置いておくにしても、産業への影響は大きいと思われる。
遺伝子組み換えのコストダウンによるベンチャーラッシュ?(The Economist) - ideomics
今後もフォローしていきたい。どうでもいいけど、ソルトレークシティの出身なのね。モルモン教と関係がある家なのかな?



とりあえず参考リンク
クレイグ・ヴェンター - Wikipedia

Creation of a Bacterial Cell Controlled by a Chemically Synthesized Genome

Scientists Create First Self-Replicating Synthetic Life | WIRED

Where are they now? | The Economist

The next industrial revolution | The Economist

Genesis redux | The Economist