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オブジェクト思考ブロギング

家庭の私法としての家政な司法

「dominium(※所有権概念)こそは、実は発達した「ローマ法」像の基礎に存するものである。」(木庭顕『新版ローマ法案内』第4章 所有権概念の登場とその帰結 P127)

子ども同士のおもちゃの喧嘩が絶えない。不思議なもので、人は他人が何かやってると羨ましくなって、自分も欲しくなるらしい。自分の子どもの喧嘩の処理を考えると、法というものへ、生活でのリアリティが湧いてくる。

 

dia-lec-ticsを拡張した不完全なtria-lec-ticsのシステム

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共生のための競争の作法として、いきなり「和をもって尊しとなす」のではなく、≠を保存しつつ、他方で=を成り立たせ、=を保存しつつ、他方で≠を成り立たせ続けるのが、おそらく大事っぽい。完全に素人だけど、明文の文明としての法律に先立つ、言葉の、言の葉による競争・闘争としての司法の体制というのが、「法」として重要なのかもと思ったり。子どもの集団的発達を見ていると、「法」においては司法の練習は立法の練習に先立つ(先だった方が良さげ)、という感じもするが、どうなんだろう。

 

「実は、iusとlexの区別はローマ法の最大の特徴であると言ってもよいであろう。古代ローマでは、すでにたくさんの「法律」(lex, leges)が制定されており、問題が起こったときに適用されていたが、もっと大切にされたのは、ケース・バイ・ケースで当事者の権利(ius)を正義(iustitia)に適った方法で見出すということであった。」(ホセ・ヨンパルト『教会法とは何だろうか』)

 

ルールを決めておいて従わせる、というより、争いから均衡・衡平 (just) が生じる方向に調整 (ad-just) する。「ルールだから」と上から降ってくるよりは、主体化しやすいという印象はある。法の「主体化」がテーマとすると、司法システムから入るのは結構大事かも。面白いことに、このシステム取り入れてから、もめごとが起こると、言い分聞いて衡平に判断しろと圧力かけてくる。夫婦のちょっとした諍い*1に、子どもが同じような介入してくる。

 

陪審制、とりわけ民事陪審制は、判事の精神的習性の一部をすべての市民の精神に植えつけるのに役立つ。まさにこの習性こそ、人民をもっともよく自由に備えさせるものにほかならない。」(松本訳『アメリカのデモクラシー』第1巻第2部第8章)

 

「法律家は利益と生まれでは人民に、習性と趣味では貴族に属する。彼はこの両者の自然の結び目、二つをつなぐ環のごときものである。・・・法律家精神と民主的精神とのこの混合なくして、民主主義が社会を長く統治しうるとは思わない・・・」(トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第1巻第2部第8章P174)

 

魂の救いは最高の法なり (Salus animarum suprema lex) をもじると、最高の法は魂の救いなり、といった感じか*2

 

just-iceはちょうど氷になる温度。セルシウスはかつて、1気圧な日常生活においてそれを零度と定義とした。彼は、水のように不可欠な液体を固体に、そして個体へと固めることを、just-iceと呼んでいた・・・というわけではないようだ。

 

*1:朝の忙しい時間にコーヒー飲んでてクレーム入れられるとか

*2:・・・すいませんが、ラテン語はできません。