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オブジェクト思考ブロギング

Bachelor of ErosからDoctor of Philia (Ph.D) に至る家庭の課程

婚姻とは最古の大学院であったと聞く。Bachelor of Erosを卒業し、次の課程としてDoctor of Philia (Ph.D) に至る家庭の過程に進学する。passion(情熱)に始まりPassion(受難)となるこの課程で、家庭の家政を学び続ける。Doctor of Philosophyを真似たのではない。Doctor of Philosophyが真似たのだ。最高の大学院かどうかは知らない。

 

「女房、妻であるひとりの女性との関係が、当方の生き方にとって本質的である場合、そして、人間存在とは夫婦としての個人であり、その自然はふたりで共有する生活の実践のなかで実現されるのであれば、人が樹立する自己との関係と他者にたいして作り出す関係とのあいだには、本質的かつ根本的な不調和はありえないだろう。夫婦であることの術は、自己の陶冶の一部である。」(フーコー『自己への配慮』夫婦の絆)

 

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ゲノム上のtrioとしての父母子。母を抜き、子を反時計周りに移動させ、霊を招くtrinity(父子霊)。genesisとしてのgene結合を組み替えることで、再結合 (re-ligation) としてのtrinityが顕れる。自然 (physis/nature) のoikosともいえるtrioを組み替え、人為な技術 (techne/art) としてのoikos=再結合体 (re-ligion) が顕れる。

 

なぜ母は外されたのだろうか・・・教会そのものが花嫁であったから、姑が嫌われたのか。「母」が自然 (physis/nature) の所産とみなされたからなのだろうか。mammal(哺乳類/乳頭)のmammaとは、確かにそのように見える。哺乳類とは、名前から言って、母的である。しかし、それは系譜学者リンネに至る太古からの神話であったかもしれない。『母性という神話』・・・"L'Amour en plus"・・・それもまた、実は人為な技術 (techne/art) でもあったのだろう。

 

神父 (Father) が鏡を覗き込む。新婦 (virgin) が映っている。これは鏡像なのか虚像なのか。virginの鏡像=虚像は、Motherの何を隠しているのか・・・鏡像=虚像を覗く時、お前もまた鏡像=虚像に覗かれているのだ。。。

 

trinityの鏡像、ytinirt (trinity')・・・父子霊を鏡像として、母子霊。これは鏡像なのか虚像なのか・・・『ラ・ファミリア』の鏡には、父だけでなく母も写っている。『ラス・メニーナス』と呼ばれるようになり、鏡像が隠されることになった。自分たちの鏡像など、誰も見たくなかった。目の前の若い女の子たちしか、見たくなかった。

 

『ラス・メニーナス=ラ・ファミリア』 "Las Meninas = La Familia" - ideomics

 

"mort de l'homme"・・・hommeを単数形の男性(the man)と解すると、men, woman, women, そして二個体(あるいは多個体)としての一個人(individual)の可能性が浮かび上がってくる。