ideomics

オブジェクト思考ブロギング

マネー=ゲーム

お金って、日本銀行券とか言い換えてみると、正にも負にも強い思い入れを持たずにすむ方向に、認知(ひいては感情)を動かせる。cognitiveを変えて、valenceが結果的に変わり、behaviorも変わる。通貨(currency)によって、流れ(current)ができる。個体=固体から、液体・気体の流れができる。流れるプールのように、淀みではない流れができる。


マネーの本質として「ゲーム」を観る。マネーゲームというより、ゲームとしてのマネー。
ゲームの規則 - ideomics
マネー=ゲーム=エッジによって、人=ノードが結び付けられる。貨幣が1種類ならエッジも1種類だが、貨幣がN種類になるとエッジもN種類に。貨幣も一種の商品だけど、やはり特別な位置づけ。マネー=ゲーム=エッジによって拡張される世界。同僚と、ヴィトンなんかが貨幣発行したらどういう感じになるんですかねという話しをしたのを思い出す。貨幣の背景にある信用とか信頼、ブランドとか憧れ、あるいはマナとしての性質といったものの形が浮き彫りになってくるのかもしれない。マネー=ゲーム=エッジによって、社会的 (Societal) な関係が創造される。信用が創造される。

「貨幣=法 (lex) は人間と人間をつなぐものであり、相互の同意によって生まれるのである。」(アレント『政治の約束』より一部改変)


また、マネー=ゲームの規則によって、規則に従属することで、主体化を行う。元いた世界とは違うルールを覚えることで、従属=主体化を行い、自由を拡張する。「都市の空気は人を自由にする」・・・都市を市場と捉えると、都市化=市場化=貨幣化=主体化=自由化=個体化。


貨幣という媒介・媒体が、純粋な媒介(情報=数値と暗号)になって、物質的な媒体から自由になりつつある。媒介としての機能は、価値の数字化と暗号によって果たされる。その中で、バンカーという「人間的、あまりに人間的な」存在はどういう位置づけになっていくのだろうか。信用を創造する主体なのか、あるいはそうではないのか*1。純粋な数字と暗号でも信用創造がなされるならば、人間はそこに必要だろうか。単なるユーザーとして機能すれば良いのだろうか。


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ATPは生命の通貨と呼ばれたりする。貨幣やエネルギーを中心にみると、生命の中心にあるのはDNAというよりATPなのか。ATPはDNAを構成するアデノシンの派生でもある。記号としてはA・・・まさに最初のアルファベット。生命・言語・貨幣:
言語=コード=ATCG
貨幣=ATP
貨幣=数字=ATPは、言語=文字=DNAの一部であり、そのアルファなのか。そうでないのか。それが問題だ。