ideomics

オブジェクト思考ブロギング

技術人 (Homo ars?) としての超人 (super-human)

電車であたりを見回すと半分くらいがスマホと(私も)。スマホって、自分の身体の一部。着脱可能な人体の「器官」。服やメガネや靴もそうだけど、違うのは反応性があるところ。特にiPhoneは官能的な反応性(response + ability )が高い。反応性が高いとanima/psycheを想定してspiritus/pneumaを見たくなる。霊=他者を見たくなる。自分自身の内なる器官でありながら、着脱可能で、霊=他者となる。


ヒトが作った技術によって拡張される『延長された表現型』としてのヒト=技術人(homo ars?)。ヒト/人/人間を超えつつ、なおかつヒト/人/人間である、という意味での超人 (super-human)。技術人の「表現型」に含まれる器官としての機械。着脱可能な器官としての機械。元の超人思想とはだいぶずれているけど、そういう誤読。器官=機械が魂や霊を持ち始める・・・自身の内なる他者の拡張。人間とは別様に、あるいは人間の彼方に。


「文字(律法)は殺す、霊は生かす」(パウロ)からの展開・・・文字=律法=コードによって霊を生かす。ビットからスピリットへ。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」(江副浩正
「自ら機械を創り出し、機械によって自らを変えよ」・・・延長された表現型としての技術人


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無限と有限。神と人。ヒトの有限性のひとつ、ダンバー数。social cognitionの有限性。ヒトの有限性。感覚器官の有限性(可視光の波長など)、認知機能の有限性(ダンバー数やワーキングメモリ)、理論的思考の有限性など。有限性への理解と拡張としての超人論。