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サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

サンフランシスコ:美術館

①サンフランシスコ近代美術館


サンフランシスコ近代美術館は、意外と小さい。2016年に拡張らしいけど。内容もMOMAの縮小版という感じで、あまりSFならではという展示ではなかった。けど、Jay DeFeoの"The Rose"という作品は凄く良くて、ひさしぶりに情動系の感動。



(http://www.abstract-art.com/index.htmより)


ロスコも今まで何が良いのかわからなかったけど、疲れた状態で見てたら、異次元への窓みたいな感じで、パラレル・ワールドに吸い込まれて時空間を飛んでしまいそうになり、強く響いた。未来とも過去とも言えない異次元にすいこまれてしまうようだ。ちょっと村上春樹の作品に似ているかもしれない。ともあれ、2016年に期待。


今回つくづく思ったのは、作品って植生みたいに土地ごとに合う合わないってあるよな〜と。今までポップアートとか大きな作品のどこが良いのかわからなかったけど、SF/アメリカみたいな土地だと良い感じ。特に街中で何かでちらっと見たキース・ヘリングには、おぉっと来た。景色に実にマッチする。美術館ってある意味、作品の"隔離・拘束"なので、美術館で見るのが良いのと、かえって良くないのがある。おそらく共同主観的なアートの(トートロジカルな)定義として、「美術館に収蔵される」というのがあるけど、その権威付けとともに、何か失われるものもある。その逆説がまた面白いのかもしれないが。


ポップアートと相性が良いのか、SFMOMAのショップはキッズコーナーが充実していて、しかもどれもなんか良い。"現代アート"も、子どもの世界を豊かにしているという意味では、従来の「大人向け」の"美術/芸術"にはない価値があるのかも。金沢21世紀現代美術館はキッズに人気があるそうだけど、いつか子ども連れて行きたい。


②Asian Art Museum

Asian Art Museumというも駆け足で1時間ほど観覧。ちゃんと見てたわけではないけど、色々な人種・年齢の人がかなり真剣に見ていたのが印象的だった。そして、その眼差しからは、エキゾチムという感傷は感じられない。そうか、ここはアメリカだった。世界各国から来た移民たちが作るアメリカという叙事詩。SFという日常的に人種が入り交じった都市においては、何がエキゾチックで、何がエキゾチックではないかという境界が曖昧になる。


仏像・陶器・書・人形・茶器など、日本では博物館に分類されるような展示だったけど、そうかこれも英語だとartなんだな。"芸術"と"アート"みたいな日本語内での分類を議論するのも意味があるかもしれないが、その差異が意味を持ちにくい土地もある。ヨーロピアン・アメリカン、アフリカン・アメリカン、アジアン・アメリカン、ヒスパニック・アメリカン*1のアメリカ・・・言うなれば、自分のオリジンにたどればそれは「古典的」であるし、共時的に出会った隣人の民族における歴史的作品であれば、それは「コンテンポラリー」に近い出会いになる。そして、こんな何でもありの言わば異種格闘技戦になったら、その後のルールも大きく変わる。



(http://www.galleryshioh.com/eng/s_syo.htmより)


例えば、日本のコーナーにあった「書」。教科書的な昔の作品から、21世紀の書まで。そして、同じコーナーに、加藤シオー氏の「宙」という作品まで。茶器や石造りの彫刻的作品も同じコーナーに。嫌な言い方をすれば、アメリカ人には同じに見えるんでしょ?って話かもしれないけど、ポジティブに言えば、同じ平面で語りうる、歴史性・連続性を持ったものと言える。何からしらの区別することにモチベーションが沸かなくなってくる。全部ひっくるめて"art"*2でいいんじゃん。みたいにね。


だから、西洋的な古典美術からAsian artをリスペクトを持って鑑賞するならば、その射程/パースペクティブがあれば、いわゆる現代アートが何であろうと腹に収まってくるのかもしれない。いや、正確に言えば、それでもなお腹に収まらないものこそ、彼らの真正な「現代」アートなのかもしれないが。


NYが現代アートの中心である背景に、経済的覇権だけでなく、この人種的混交のレベルがあるとしたら、それは簡単には他の都市では置き換えられないだろう。村上隆氏の著作に、現代アートは西洋の文脈で語れないといけない的な話があって、それは彼が言うからにきっとその通りなのだろうけど、それらは多民族・グローバルというリアリティを感じ始めることでinitiate/originateされたものかもしれない。アメリカという覇権国家においてヨーロピアン・アメリカンの割合が減っているが、これからは、西洋の文脈云々よりも各民族の混交、そして各民族の地域史の混交が文脈として重要になってくるのだろうか。SF住民がAsian Art Museumで作品を眺める視線から、その先から「世界史」が初まるのだ。といったらさすがに言い過ぎか。

*1:同じ割合ではないが、アメリカ人口の占める割合で、どれが明らかなマイノリティとは言えなくなっている。上流階級は別だろうけど。

*2:大文字ではなく、小文字であることに注意