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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

「熟議」は可能か?

「話し合って決める」という幻想 - Chikirinの日記
特に政治系に関しては確かに。議論で政治的な意見が変わるって期待しにくい。議論とか熟議が持たれがちな思い入れから少し距離を持つには、幻想という言葉は悪くないかも。やや強すぎる言葉だけど。


議論というのは、みんなで話し合いましたよというアリバイ作りに使われることも多いし、議論するにしても、最初に共通の目標や事実認識を(暗黙にでも)コンセンサスとして持たないと、生産的にはなりにくい。そして何より、議論・討論するとしたら、互いの話を「聴く」つもりがないと、なかなか時間がもったいない。


討論の技術? - ideomics
フィンランドの小学生が作った話し合いのルールでも、話を「聴く」ことがかなりの割合を占めているようだ。


ハンナ・アレントにおける政治の意味 - ideomics
たいした根拠もないけど、ハンナ・アレントにおけるpoliticsとは、討論ベースの民主主義とかとは違うような気がする。むしろ、単に互いの話を「聴く」ってことだけかもしれないと思ったり。というのも、↑のリンクみたいな背景があるから。「議論で相手を説得する」というのは難易度高いし、民主的に皆でという感じで成り立つものでもない。


とはいえ、例えばサイエンスのアイデアの多くは対話から生まれるというし、話し合いをどう生産的にするかは、めちゃ重要なテーマ。幻想として切り捨てるのもニヒリスティックすぎる。


"Evidence for a Collective Intelligence Factor in the Performance of Human Groups"(Science, 2010)

↑は、集団としての「知能」には、メンバーのsocial sensitivityやグループ内の女性の割合が大事みたいな話。このあたりの研究は非常に示唆的だし、時間に余裕があれば詰めてみたいテーマ。個人のIQに関しても、それなりに興味深い知見は出ているけど(*)、集団としての「知能」というのは、今後もっと深く掘れそうだし、社会的にも大事な気がする。扱いは難しいけど。(ただそれ言い出したら、個人の「知能」も扱いは難しい)




(*)例えば、以下の文献

"Putting brain training to the test" (Nature, 2010)
http://www.nature.com/nature/journal/v465/n7299/full/nature09042.html

"Verbal and non-verbal intelligence changes in the teenage brain" (Nature, 2011)
http://www.nature.com/nature/journal/v479/n7371/full/nature10514.html

"Genetic contributions to stability and change in intelligence from childhood to old age" (Nature, 2012)
http://www.nature.com/nature/journal/v482/n7384/full/nature10781.html