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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

「ジャーナリズム」は誰が担うのか

大学主導する報道機関『医療報道センター』創設者に聞く(前編)「新聞が衰退していく時代のジャーナリズムを誰が担うのか」 新刊『「官報複合体』も話題の好評連載! | 牧野洋の「ジャーナリズムは死んだか」 | 現代ビジネス [講談社]


カルフォルニア大学産まれのNPO、「医療報道センター」(Homepage | Center for Health Reporting)について。面白かった。

小さな地方紙などでは医療問題を取材する専門的なノウハウもないし、人材もいません。われわれが記者の教育を引き受けることもあるし、データ分析の専門家を提供することもあります。もちろん無料です。われわれは慈善財団から資金援助を受けているわけですから。
その意味では医療報道センターは新たな報道機関というよりも「既存の報道機関を支援するNPO」という位置づけになります。たとえば医療報道センターのベテラン記者がコミュニティー紙へ足を運んで共同プロジェクトを指揮し、同時に若手記者を指導します。記事が完成すれば、若手記者と連名で記事に著名します。

この発想はなかなか面白い。報道機関そのものになるのではなく、報道機関のバックアップとして機能し、ジャーナリズム全体の底上げを図る。と。


ジャーナリズムの構造化 - ideomics
では、「ジャーナリズムと呼ばれる言論のシステム」をもっと構造化して、システマティックな流通や、引用などによるネットワークをしたら良いかもといった話だったけど、そういったジャーナリズム内部でのシステム化を促進するものとしても、このNPOは面白そう。言うなれば、「足」と「頭」を上手く分業して、報道と分析が成り立つような仕組みを作る。「足」に強い人に任せていても、おそらく短報的な報道が積み重なるだけで、なかなかシステマティックにならないだろうけど、分析屋だけだとそもそもジャーナリズムにならない。このNPOは上手い仲介をしてくるのかも。


(ただし、昔の「ブン屋」については、報道としても、情報の信頼性という意味でかなり疑問は持っている。当時は検証する手段もあまりなかったから、「事実」として流通していることも、本当に検証したらどうだったろうか。これからのメインストリーム・ジャーナリズムに求められるものは、「信頼性」「検証」といった部分だと個人的には思っているので、昔のブン屋稼業については、場合によっては有害な情報の歪曲も結構あったんじゃないかと思っていたりする。まったく素人なので、憶測にしか過ぎないが。)


どこの世界でも歴史あるものは、徐々にアカデミックに形式化されていく傾向があると思うけど、ジャーナリズムもある程度のアカデミック化・形式化は必然なんじゃなかろうか。昔ブン屋というと、いかにもアウトローなイメージだったけど、おそらく今後は「学者化」していく部分があるのでは。そもそもプロフェッショナル化というのは、一種の形式化と言えなくもない。いわんや、知識系のプロフェッショナルであれば。



(http://www.croatianhistory.net/etf/nyt.htmlより)


The New York Timesの危機 - ideomics
のように、新聞社はじめメディア企業の苦境が伝えられる中、経営母体をどうするかという議論もコンスタントにある。株式会社からNPOにしようという人もいる。「医療報道センター」はその議論に直接取り組むのではなく、うまく迂回する形で、別様な解を示している。でも、個人的には、報道と金融は、社会に相当に重要な機能なので、(医療法人よろしく)専用の法人形態や法人に関する法律を用意してもいいんじゃないかと思っていたり。このあたりはあくまでも裏づけのない雑感でしかないけれど。


もし報道が、(三権分立ならぬ)四権分立のひとつの柱を担うと考えるならば、NPOだとか専用の法人だとかを超えて、そもそも国会レベルのinstituteにまで昇華させてもいいのかもしれない。
a new kind of 参議院 - ideomics
では、参議院が報道やオンブズマン的な機能を担ったらいいんじゃないかという話だったけど、今でもそう思ってたりする。「第四の権力*1という公的な意義・必要性があるなら、いっそ公的なポジションとして考えても悪くないのでは?


ジャーナリズムの内側に入ったことがないので、あくまでも読者目線でしかないけれど、経営体としてもコンテンツにしても、これまでの延長で継続するのは難しいと思うので、こういった試みが大事なんだろう。民主主義を機能させていくためにも。