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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

資本主義の先?:資本主義の終焉?

メモ

20世紀後半、先進国では経営コンサルティング投資銀行といった仕事が多いに人気だった。おそらく今も人気だろう。経営や投資といった「資本家」の仕事が、徐々に「労働者」(サラリーマン)の仕事になる。資本主義の初期には、資本家や経営者というのは「階層」や「地位」であったが、先進国では時代とともに「仕事=労働」へと変遷していく。最たるものがサラリーマン経営者とカジュアルな起業。決して誰しもがなれるわけではないけど、機会は広がっている。資本家・経営者vs労働者の対立という埋められなかった溝も、今や階級対立として扱われることは少ない。


農業の生産性が上昇し農民の収入が上昇することで領主と農民の収入の格差が縮まり、封建制が崩壊し近代国家と資本主義の誕生に繋がった、という議論が『超マクロ展望 世界経済の真実』にあるが*1、そのアナロジーで言うと、資本家と労働者の差が縮まることで資本主義も、次のフェイズに向かっていく可能性がある。ドラッカーが「年金基金を通して労働者=資本家となり、年金資本主義が、共産主義者の夢を別な方法から達成してしまった」といった趣旨の発言をしていたこととも重なる。


資本活動の「労働」化。2005年の長者番付の一位が(形式上は)サラリーマン=労働者であったのは、時代の分水嶺だったといえるかもしれない。一部の会社はスタープレイヤーがサラリーマン=労働者でありながら、経営者を超える給与を受けていることもあるらしい。そして、社会全体の資本効率は御覧の通りだ。資本を持っていれば、それだけでウハウハなんて状況は先進国にはない。


言うまでもなく、一部では異常な給与の経営者や多額の利益を上げる資本家はいる。しかし、先進国内での全体の平均の話として、資本の利益率は低いし、社長だからお金持ちという状況はもう成り立たない。むしろ、差が開いているのは、資本家vs労働者というより、(金融業も含め)グローバル企業vsローカル企業。


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captalismという言葉を生み出したマルクスは、資本家・労働者を「階級」という言葉で表現していたらしいが、そもそも「階級」というのは、封建制度から連続した言葉だ。人間社会がサル山の延長であり、「階級」という「位階秩序」が何だかんだいって常に重要になるのならば*2、資本家・労働者の対立の後に出現する「位階秩序」とはどのような形であろうか。封建制度における階級(土地の広さが指標)・・・資本主義における階級(財産の量が指標)*3・・・新しい秩序における階級・・・


あるいは、位階秩序というだけではなく、「グループ化の仕組み」という観点から眺めることもできる。土地に基づいてグループ化するのが封建制であり、資本に基づいてグループ化するのが資本主義であるとすれば、○○○に基づいてグループ化するのが◆◆◆という表現ができるだろう。○○○や◆◆◆が何なのかというのがここでの疑問だ。


「階級」や「位階秩序」とか、「グループ化」といったドライなシステムだけでなく、幸福をもたらす仕組みという面からも構想しうる。封建制度が武力に基づいて、身体の安全という最も根源的な欲求を満たす仕組みであり、資本主義・市場経済がモノの配分をして、物質的な欲求を満たす仕組みであるとすると、さらに高次の欲求を満たす仕組みが想定される。人間の欲求段階に従うならば、精神的な充足や他者からの認知がより高次な欲求にあたると思われる。となると、「他者からの認知」の配分というのが次の仕組みの候補かもしれない。


とはいえ、さすがに資本主義の終焉というのは言い過ぎで、先進国ならどの社会も資本主義の体系はしっかりと残るだろう。それに、新興国やグローバルな市場での資本主義的なシステムは更に勢いを増すだろう。終焉というよりは、「深層化」という方が正しいかもしれない。つまり、国家と同じく、より深いインフラとして、資本主義が我々の社会に「深層化」する。とすれば、終焉というより、むしろ一旦の完成と言った方がいいかもしれない。

*1:『超マクロ展望 世界経済の真実』 水野和夫・萱野稔人 - ideomics

*2:ニーチェが「私の唯一の関心ごとは、人間界における位階秩序である」と述べているが、この部分は人間界から捨て去れない真実だろう

*3:正確に言うと、封建制の後は、「資本主義ベースの市場」と「近代国家」に分化しているので、「近代国家」における位階秩序も同じように大事だが、話がややこしくなるので端折る。