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オブジェクト思考ブロギング

「ウェブ×ソーシャル×アメリカ――〈全球時代〉の構想力」 池田純一

帰宅すると、まずFERMAT - Communications Visionary -をチェックするという習慣。そのウェブコンテンツの作者が新書を出したというのだから、いの一番に購入した。一言で言うと、オススメです。ほとんどの本は買わずに図書館で済ますのだけど、これは久しぶりに購入した。もう1回熟読しよう。


色々気になる箇所が多いし、要約を拒む内容ではある。ジョブスやエリック・シュミット(前グーグルCEO)といった1950年生まれの世代が夢見た「個人を解放するテクノロジー」や「ネットワーク=コンピュータ」という構想は実現しつつあり、次の「構想」が求められる。著者はフェイスブックを通して、何かを見ようとするが、その先は未だ"?"であり、誰しもが考えうる/考えたいところ。


アマゾンやグーグルといった電子の市場を想定したものから*1フェイスブックという電子の「広場」というコミュニティを意識したものに、ウェブの中心がうつりつつあるとしたら、それは何を意味するのか。著者はフェイスブックに、政府系の人材が流れていることを指摘しており、非常に示唆的である。


新書の帯にもあるけれど、「批評の新地平」だと思う。批評の世界にこういった人材がいるというのは実にうれしいこと。個々のテクノロジーに対する知識を持った上で、「ビッグピクチャー」への志向/嗜好/思考が強い。「大きな物語が○○○」みたいなことが言われた時代から、やっと何かが動いた感じがする。ちょっと挑戦的な帯をつけるとしたら、「浅田彰よさようなら」といったところか*2


これだけテクノロジーに溢れた世界では、人文系の素養だけでは、社会批評は成り立ちにくく、せいぜい保守的な論客となるか、失敗すればノスタル爺になってしまう。原発の話でも、エネルギーの話でも、テクノロジーを踏まえずには、構想できない。しかし、テクノロジーの知識だけでは、大きな構想や深みのある議論ができないことも確か。池田さんのような人材が他の分野にも出てきたら、特にエネルギーや環境などの分野に出てきたら・・・楽しみにしたいところ。


*1:個人的には、グーグルに関しては、むしろ「電子の政府」へと意識した存在な気がするけれど

*2:もちろんこれはdisりではなく、浅田さんの本はとても面白いし、ある時代の象徴する人として

オルテガ vs リップマン

20世紀に入り、「大衆の時代」になるにつれ、知識層から様々な反応が起きたが、このオルテガ「大衆の反逆」(1930年)とリップマン「世論」(1922年)のコントラストはなかなか興味深い。


スペインに生まれ、ジャーナリストの父を持つ哲学者オルテガ*1は、大衆が「義務を伴わない権利」をふりかざし、自らの無知に安住し、場合によっては、無知であることをいわば権利のように振りかざすことを批判し、また「統治」に対して責任を持つ人材が少なくなることを嘆いた。そして、(統治者としての意識を持つ)「貴族」的な態度を呼びかけた。


アメリカに生まれ、ハーバード卒業後、様々なメディアで自らジャーナリストとして働いたリップマン*2は、大衆心理への洞察を展開し、報道の重要性、報道のあり方を説いた。その後アメリカはF.L.アレン*3ハルバースタム*4といったジャーナリズムの巨星を生み出し、ニューヨークのロックフェラーセンターには、イサムノグチによるAP通信レリーフが飾られている。そしてアメリカの最も権威ある文学賞であるピュリッツァー賞は、基本的にジャーナリズムの賞である。


いずれも妥当な反応であるが、古き佳きヨーロッパの貴族主義・エリート主義的な方向を選ぶか、大衆民主主義を前提にして、メディアを通した民主主義の成熟を目指すか。もちろん、2択でもないし、正解もない。現在のアメリカを見るに、フォックスニュースなど、かなり偏った報道もあり、いちがいに何が成功しているかも言えない。しかし、社会設計にあたって、この「大衆性」というものへの対処を、どういった形で行うかは、何かしら決めていかないといけないだろう。


金融危機を予見し話題になったエマニュエル・トッド(フランス)は、「デモクラシー以後」にて、「高等教育の発展が、教育の格差を生み出し、統治するもの・されるものへと2分していく。そして民主主義は危機にさらされる。」と説いている。トッドは、初等教育識字率を上昇させ、民主主義を醸成すると言っており、最近の中東革命も、識字率の上昇から以前から予想しており、相当な慧眼を持っている人*5


さて、我々はどうしたものやら。




三井日本橋

東京駅の開発が目覚しい。東京駅舎の再生に加えて、京葉線の方まで開発を頑張っている。JRは鉄道資産を活かして利便性ベースで色々やろうとしている。三菱丸の内もかなりいい。こちらは、街路を活かした再開発で、雑然な観光地と化した銀座よりも高級感がある。


ひるがえって日本橋日本橋三越のデパ地下は結構お気に入りだけど、他にあまり魅力的なものに乏しい印象。日本橋三越の外観はとても好きなだけに残念だ。(三井不動産の)東京ミッドタウンにしろ、森ビルの職住商一体型開発のコピーのように思われるし、JR、三菱(、森ビル)ときて、商家の雄たる三井にももう一頑張りして欲しいと思うのはワガママだろうか。さらに言うと、日本銀行も絡めていかせないものか。



勝手に日本橋の再開発を考えてみる。日本「橋」なだけに、こんな空中回廊をたくさん張り巡らせるとかはどうだろう。道を運河に見立てて。道を勝手に使えない分、丸の内に比べかなり不利な日本橋だが、回廊を工夫することで、なんとか街に一体感と何らかの付加価値をもたらせないだろうか。例えば銀座の三越は旧本館と旧別館をつなぐことで新しい空間を作っている(成功しているとは言い難いかもしれないが)。もちろん地震を考えると相当に「ない」プランではあるけれど。



山口晃 「百貨店圖 日本橋 新三越本店」 2004)


あるいは、この作品における日本橋みたいに、でっかな橋を「再生」してしまうのも一手かもしれない。行政的に無理っぽいけど、高速を更にまたぐ感じでビルを作ったり。


「橋」をキーワードに何かできないものか。リアルト橋やヴェッキオ橋を参考に。


三井住友VISAカードを検討するにあたり、なんとなく三井に頑張って欲しいと思う今日この頃。三越自体がイセタンと合併してるし、三井自体がどの程度裁量あるかは不明だけど、銀座三越が成功していることを見ると、逆に好機かもしれない。


永田町、霞ヶ関、丸の内と地名から想像される文化やカラーがあるが、日本橋も何かしらないだろうか・・・三井・日本銀行・・・。思考訓練としても、日本橋の再開発をというテーマは面白そうだ。