ユマニスム(人文主義)からマシニズム(機械主義)へ
18世紀フランスの医学者ド・ラ・メトリは1747年に「人間機械論」を記した。当時はマクロ解剖学レベルの解像度(臓器・組織レベルの解像度)だったが、20世紀頃以降は分子レベルでの解像度で、「人間機械論」が進んでいる。医学・工学の知見が進むにつれ、人間を特別視して人間特有のアニマを想定するようなアニミズムは徐々に機械論的な見方に置換されてきている。現在の分子生物学は人間=機械というアプローチを意識されないレベルで前提としている。
そんな分子生物学的世界観に身を浴し、brain machine interfaceやヒューマノイドを眺めると、彼らの提唱した世界観がますます身体に浸食してくる。すなわち、人間と機械を一元化する感覚が。そういえば、人文の世界でも、フーコーが「人間の終わり」を告げ、ドゥルーズも似たような話をしていた記憶がある・・・ちゃんと読んでないからわからないけど。
ルネサンスと呼ばれる時期において、神を中心とする世界観から、人間を中心とする世界観に移行していった。人文主義、人間中心主義、ユマニスムhumanismeだ。そして現代。ユマニスムから次のステージ、マシニズムmachinismへ。「人間」という言葉にこめられたロマンチティックでアニミニズムな感覚から、よりドライでメカニカルな世界観へ*1。
鉄腕アトムは一見子供向けの漫画だけど、ロボットの「人権」「ヒトとの共存」とかかなりラディカルな問いかけをしている。そして理想的なパーソナリティを持つ「機械」を通して、「人間とは何か」という人文主義の大元の問いを照射する。チャペックのロボットといい、ニューロマンサー/マトリックスといい、悲観的なロボット観が多い中*2、鉄腕アトムなどのようにポジティブな作品があるのは日本の強みか。ユマニスムからマシニスムへのなんと距離のある射程なことよ。手塚治虫はもっと国際的に評価されてもいいと思う。今もアヴァンギャルド。
欧米の大学史では工学とは卑俗なものであった。今ではあれだけ業績の高いMITですら大学universityを名乗らせてもらえてない。イギリスはよりその傾向が強いと聞く。ひるがえって日本。日本の特色は総合大学の工学部と言えるかもしれない。少なくとも、期せずして当時大学に工学部があるのは画期的だったかも。日本のアカデミアの誇るべきは大学工学部の存在である。と盛ってみる。
マシニズム1.0:人を機械とみなす(「人間機械論」、分子生物学の世界観)
マシニズム2.0:ロボットを人とみなす(「鉄腕アトム」の世界観)
マシニズム3.0:人間をサイボーグ化(「銀河鉄道999」「サイボーグ009」の世界観)あるいはhomo sapiensへのgenetic engineering
と整理してみる。
biological machine・・・遺伝工学の発展形である合成生物学*3が生物と機械の境界を曖昧にする。金属的な硬質の機械ではなく、生物機械へと・・・designed creaturesはよりラディカルだ。サイボーグより根源的に機械論的。倫理的な課題は山積しているが。人間への応用はどんな姿になるのだろう*4。
GoogleがAndroidなる名前を使ったことの意義を考えたい。Android=人間もどき。ユビキタスコンピューティングで「人間もどき=知性体」を新たに創出しようとしているのだろうか。マシニズムが溢れる世界でヒトhomo sapiensはどうなっていくのだろう。
*1:車椅子:マン・マシンの一体感 - ideomics、サイボーグ外科 - ideomics
*2:かなり穿った見方をすれば、植民地政策や奴隷制、人種差別の副作用かもしれない
*3:遺伝子組み換えのコストダウンによるベンチャーラッシュ?(The Economist) - ideomics、クレイグ・ヴェンター(John Craig Venter)と合成生物学 - ideomics
*4:「遺伝子医療革命」 フランシス・コリンズ - ideomicsの通りサンデル教授など既に批判的な見理論を組み立てている人もいる