ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

associationism

「政治」の本質を「討議」と考える。結論を出すためだけではなく、単に話し合うことそのものが大きな効果を持つかもしれない。何も結論が出なかったとしても、話し合ったことで参加者の意識は変容する。「政治」の本質は、その「変容」にこそあるのかもしれない。


少し前に、新聞社に勤める友人主催の医療に関する小さなセッション(飲み会)に参加したときに思ったこと。何を決めるわけでもなく、ただ言いたいこと・聞きたいことをラリーのようにつなげるだけだったけど、何か言い表しがたい感覚が残った。一人で考えていても同じところをぐるぐる回っているだけのことも多いが、「他者」に触れることで、自分と他人がちょっとずつ変わる。意思決定よりもその変容を個々に重ねていくことが実はとても重要なことじゃないかと*1


政治というと、政策決定、投票など意思決定が中心にあると考えられる。もちろん、国会や行政などいわゆる政治の中心的な機関ではそうだろう。でも、そういった機関の土台となる一般人レベルではどうだろう。市民という土壌でいかに「政治」が醸成されたかで、国会や行政などの草花が咲き、政策という実りをもたらすとしたら、その土壌を豊かにするものは、討議なのではないか。土壌に必要なものは、意思決定よりも、討議なのではないか。



討議を可能にするもの・・・討議はどこだって誰だってできるものだけど、円滑に行われるには場が必要。それはおそらくassociationという形になる。昔風に言えば結社。associationの総量*2と政治のレベルは相関するという仮説を立ててみる*3。民主主義とか社会主義とか制度的な議論とは別に、associationismとして。associationismとは土壌改良の取り組み。いずれ成る果実のために土壌を耕し肥やすこと。


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ハンナ・アレントがどこかで「行動を呼びかけ、思考を軽視する傾向があるが、世界の半分は思考と討議で占められるべきだ」といった趣旨の文章を書いていたような記憶がある*4。学生時代には、「見る前に跳べ」とか「考える前に行動せよ」といったテーゼを言われることが多く、そうだよねと思っていたので、アレントの文章は非常に新鮮だった。ある賢友に意見を求め「僕もそう思う」と返答され、なお新鮮であった。


(人間の条件だったかな?)


当時は腑に落ちなかったけれど、就労していわゆる労働をし、そして今の政局・デモなどを見ていると、徐々に理解できるようになった。ペーパーテストエリートに関しては、「頭で考える前に行動しろ」というテーゼは非常に正しいと思うけど、「政治」という「全体を全体で語ること」に関しては、むしろアレントと言うように、思考と討議が欠如している。果実を求めるならば、土壌を肥やす必要がある。土壌を肥やすのは、華やかさには欠けるけれど。貧しい土壌からは、貧しい果実しか生まれない。


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「政治」の本質を討議と考える。社会企業家といった言葉が普及し、それにコミットする人々が増えるのは良い方向だと思うが、コンフリクトが生じる問題というのは結局政治の話になる。政治を回避することはできないというのが、震災と原発の教訓であったとすれば、政治にどう向き合えば良いかというのを考えたい。とても地味だけど、討議が広がること。そのための場としてのassociation。そして、associationのマネジメントを考えること。経団連、農協、医師会、労組・・・もはや旧体制の象徴でしかない集団だけど、これらのre-managementはどうすれば良いだろう*5


ロバート・パットナムはボウリングクラブのような自発的な集まりがなくなり、それが市民社会を崩壊させていくと嘆いた。シーダ・スコッチポルはより政治学者的な立場から、ボウリングクラブには留保をつけつつも、associationの減少から、「失われた民主主義」と警鐘を鳴らす。スコッチポルの「失われた民主主義」はあまり注目されない書籍だけど、個人的には超重要文献、21世紀の新古典だと感じている*6。失われたものを嘆く立場から、よりポジティブな物言いに翻訳するならば、それはassociationismと言ってよい主張だろう。




討議に必要なもの・・・場、人、情報。その土台としてのassociation。「政治」のアクターとして、アソシエーションとメディアが「政治学」の主要な分析対象になる時代を夢想する。

*1:とはいえ、「場の三要素とは、目的・人・場所である。二つが決まると、残る一つは自ずと決まる。人を集まればなにか面白いことが起こる、というのことでは全くない。まず実現したい目的の設定と共有が必要。目的をどこに設定するか、で場の意義は決定される。・・・現実的制約がないものは目的だけであるから、放っておくと、人と場によって目的が左右される点に留意が必要。」というseihrd 氏の意見も非常に納得。@

*2:しっかりとした定量化はおいておく

*3:まぁこんな話もあるけれど。「意見共有で「集団の知恵」が低下:研究結果」意見共有で「集団の知恵」が低下:研究結果 « WIRED.jp

*4:非常に曖昧な記憶なので、細かい部分は間違っているかも

*5:ドラッカーの継承 - ideomicsの文脈においても課題

*6:政治の無形文化財 − 「失われた民主主義」 シーダ・スコッチポル - ideomics