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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

Sony, Hondaのアート戦略

メモ 製品

ソニーが情報流出で相当にダメージを受けている。創生期の偉人達も亡くなっていっているし、AIBOなんていう言葉もとんと聞くことはなくなった。そんな好きな企業ではないけど、しかしここまでいくとちょっと可哀想になる。


相当昔の話になるが、AIBOの売り方の代替案を考えてみる。今だったらさしずめASIMOも含めて。例えば、アシモもアイボも「アート作品」として、ごく限られた数で最初にマーケティングしたらどうだったろう。始めから大衆向けのマスプロダクトとしてではなく。正確に言うと、アートマーケット=超富裕層市場という方程式を考え、いくつかある市場の種類の1つでしかないと見て、しっかりとセグメンテーションしてやったとしたら。この場合、変に気負ってアートアートして、特別に考えるのではなく、あくまでも大衆市場とは論理が違うものの、(超富裕層向けの)ひとつの市場としてドライに捉えていく*1。より限定された雲の上の世界で想像をかきたてる存在として、発展しえたとしたら。


自動車がF1・高級車・大衆車と分かれるように、マーケットもアート・プレミアム・マスと分けてみる。機械製品もアートとしてプレゼンテーションできないものか。いわゆる伝統的な美術とは別に、技術の昇華や遊びとしての高い位置づけが欲しい。オーバースペックと揶揄される日本製品だが、今の何倍も「オーバースペック」に突き抜けたら、それはそれで別な世界は見えてきそうだが、どうだろう。


あるいは制作方法の新しさというプレゼンテーション。ウォーホルのファクトリーといい,
村上隆カイカイキキといい、孤独な英雄という芸術家VS工房を運営するアーティストという製作方法の違いを特徴としているが、更に踏み込んで企業内アトリエという形でやる。よりドライでアノニマスな製作はありうるか。もしかしたら今後はどこの会社も単なるデザイン部門や研究部門ではなく、実用から自由なアトリエというのを持ちうるかもしれない。アトリエ・ソニーとかね。個人製作→工房製作→企業製作へ。工房は有限会社的だが、それが株式会社的な挙動を示すとしたら、製作過程も新しい。あるいはアート製作の証券化


アングロサクソン的な流れに抗して、バリバリのマーケティングから、バリバリのテクノロジーへ。コンテクストやコンセプト、感性が中心のものに対して、技術(特に工業技術、機械技術)を玉座に置いてみる。今のゲームのルールを変えたい。肩肘張らずに。どうやってプレゼンテーションしていったら良いだろう。例えば、原研哉のJapan Carという展示があったが、何かしらの文脈作りをしてうまくcurationできないものか。ポップアートがアートを特別なものとしてではなく日常のものとして扱う、アートマーケットを特別なものとしてではなく日常品のマーケットとして扱うという流れであるとしたら、日常品のマーケットとされていたものもそちらの世界に侵食していきたい。


ゲームメイク。ルールをめぐるゲーム・闘争に勝つこと。どうしたら良いだろう。

*1:BOP(Bottom of Pyramid)にならって、TOP(Top of Pyramid)と言ってみる。