村上春樹についての少々のメモ
1Q84を読みたい。今までちゃあんと通読したのは3作品程しかないし、そこまでファンでもないのだが、この作品は妙に気になる。おそらく、今までよりも実社会との接続が多いような気がするからだろう。
昔はデタッチメントを代表する作家とされていたが、オーウェルの1984年を題材にしていることや、オウム事件・阪神大震災のレポを消化してきていることを考えると、社会批評的な要素を期待したくなる。
浅田彰の「1Q84」(この作品よりだいぶ前に出ている)は消費社会批判らしいが、村上さんは消費社会にはそこまで批判/批評精神をもっていないだろう。むしろ消費社会を楽しむタイプの人だし。オーウェルの全体主義批判を現代的に踏襲するならば、消費社会批判が順当な結論だと思うのだけれど、彼はその点をどうするんだろうか。
「作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている。」というストレートな発言もあることから、集団による原理主義への批判というのがやはり順当なところか。(オーウェル:国家全体の原理主義的な情熱としての全体主義 vs 村上:小集団による原理主義という対比)確かに大事な話ではあるけれど、欲を言えば、その先を行った批評性を期待したいところ。
**
カズオ・イシグロがかつて、「現実そのものとは異なる非現実的な描写で、現実世界をイメージさせてくれる作家は世界で2人だと思う。ひとりは、ガルシア=マルケス、もうひとりは村上春樹。」といった趣旨のことを言っていた。
非現実的な描写が、ファンタジー/幻想として消費されるのでもなく、何かしらのリアリズムを提供するというのは、カフカが得意としたやり方であるが、この手法を、軽快でわかりやすく使用できる使い手となれば、やはり村上さんだろう。
いわゆるアレゴリーってやつだと思うけど、現実の話や思想から寓話/アレゴリーをひねり出すというより、寓話を先につくっておいて、何らかの(見えにくい)現実を照射する/しているような気がするという意味において、アレゴリカル・リアリズムなんて表現も可能かしら。
エルサレム賞受賞における「壁と卵」の話も、先に政治的な内容があってそれに比喩表現を与えたというより、ふと壁と卵のイメージが浮かんで、それに政治的な含みをもたせたという印象。内容だけで言えば、小説家や文学系の人がシステムよりもヒトの側に立つというのはあまりに自然な話だけれど、このアレゴリカルな表現は魅力的。
とりあえずはこのサイトとか興味深い
http://d.hatena.ne.jp/solar/20090717#p1