ideomics

オブジェクト思考ブロギング

職業としての思想家

ピーター・F・ドラッカーは2005年の11月11日に死んだ。翌日の朝日新聞朝刊で、僕はそれを知った。その時なぜか涙がこぼれてしまったのだった。実の祖父が亡くなったときは、涙を流しはしなかったというのに。初めて僕はわかったのだ。「ああ、おれはこの人がすごい好きだったんだ。」


彼の著作をあらためて眺めていたところ、ふとあの日のことを思い出した。きっと、僕は彼への追悼を綴らなければならない。ひとつは自分のために。ひとつは責任のために。


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僕は昔、思想家philosopherってやつに憧れていた。考えるという作業が好きだったから。安直に哲学の道に進みたいと思っていたこともあった。しかし、あの哲学という学科は何やら物物しく、近寄りがたい雰囲気を称えていたように思われた。哲学をやっている人達や哲学科が、どうも自慰サークルに見えて仕方なかった。きっと哲学なる営みが社会に大きな影響を与えた時代は、アウシュビッツとともに葬られてしまったのだ。現代に哲学は不要だった。社会は「行動action」や「労働labor」を求めていた。そして労働に哲学は邪魔だった。Kantなんておっさんは釘打ちにも使えない。


単細胞の若者は、哀れにもジレンマに陥っってしまったのだ。哲学という自慰にふけて楽しく過ごすか、「行動」なる道、大いなる「労働」の道を選ぶか。彼にとっては、どちらの選択肢も喜ばしくはなかった。


そんな季節に出会ったのがピーターだった。当時、僕の理解では彼は「経営学者」だった。経営、企業、社員・・・経営改善。何ということだ。労働そのものじゃないか。僕は、「労働」に溶け込まんとするためにピーターの著作を紐解いていたのである。


ピーターの著作はそれより前にも読んだことがあったと思う。内容に共感を覚え、いくつかを教訓としながらも、当時より更に幼かった僕は、彼の言ってることがあまり理解できていなかったようだ。そして、何より彼自身のことを。僕はしばらくして、やっと彼のことが少しわかったのだ。ピーターは思想家philosopherだった。しかも「仕事」をしていた。


仕事=仕える事=serveする事=service。ピーターは当時賃労働をしてはいなかったけど、「仕事」をしていた。彼は、考えることで何かの価値を相手(主に読者)に給仕serveしていたのだった。思想なる作業を通して、誰かに仕えていた。結果的に仕えていたわけではなく、決然と仕える意志があった。それは紛れもないserviceである。彼は思想なるservice業を営んでいたのだ。彼に給仕してもらった人はきっと数知れない。彼は、食事の皿やワインの代わりに、社会への洞察をserveしていた。


ピーターは、あの偉大な洞察を通して「仕事」していた。好きなことを仕事にしなさい。何度言われたことか。でもあのサークルへの入会はあり得ないと思っていた青年には、無力な言葉だった。大学という制度。それもまた労働に見えた。でもピーターは違った。彼は「仕事」の意味を示してくれた人なのである。仕事=仕える事=serveする事=service。それは、必ずしも労働と同義ではない。何か価値を誰かに提供できれば、それは「仕事」である。あとは何でもいい。彼は紛れもなく、誰かに価値を提供していた。


ピーターは、あの偉大な洞察を通して「思想家」でもあった。現代の課題を考察していた。オペレーショナルな解決はなく、人間という存在を見据えて考察していた。あの巨大な教養と知識を背景に、彼は"現代"に"診断"をくだしていた。「思想とは"現在/現代"の診断である。」(Michel Foucault) そして、その洞察は、ヨーロッパで大切にされてきた人達を確固たる礎にしていた。彼は、知識や知性、それを築いてきた人達をとても大切にしていた。


僕は遅ればせながらようやくわかったのだ。philosophy/philosophiaとは、哲学という学科のことではなく、知を愛するという一つの「生き方」のことであり、philosopherとは、その「生き方」を貫く人のことだということを。いわゆる哲学という学問に通じた人という意味に縛られる必要はないのだ。そして、philosophyの語源に立ち返ることで、この言葉がきっとよく似合う彼のことも少し理解できた気がしたのだった。彼はまさしくphilosopher(愛智家)だった。


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「親愛なるパンよ、この地に住まう他の神々よ、この私を内なる心において美しい者にしてくださいますように。そして、私の持っている全ての外面的なものが、内なるものと調和いたしますように。私が、知恵のある人をこそ富める者と考える人になりますように。まだ何か他に、僕達がお願いすることがあるかね、パイドロス?僕は、これだけのことをお祈りしてしまえば気が済むのだが。」
「今の所を私のためにも祈ってください、ソクラテスよ。友のものはすなわち、我が物でもありますからね。」
「そうだね。では、行こうではないか。」(「パイドロス」279Cより一部改変)


彼は経営学者だ。お金をたくさんもらっている。彼はphilosopherだ。仕事もしている。そして、僕の敬愛する歴史家の一人でもある。


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2005年の11月11日からもう二年が過ぎた。この数年巨星と言われる知識人達の訃報に接し、一つの時代が終わってしまったような感覚がよぎる。知識人達の活躍したあの時代はおそらく過ぎ去ってしまったのだ。哲学や偉大さはどこかへ行った。でもきっとphilosophia(愛智)は死んでない。なお知り考えるべきことがあるのだろう。たくさん。きっとたくさん。そして、彼の言葉にresponseし得ること。それがresponsibilityに違いない。僕はあと数年かけて、彼の魂を見葬(おく)りたいと思うのだ。


※ philo=愛、sophia=知