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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

恩師

オペラシティの近くを歩いていると、学校の実習の一貫であろうか、小学生らしきキッズの群れに出くわした。その集団は若めの女性教師に率いられていたのだが、冬という内省的な季節を控えているせいか、卒業を間近に控えているせいか、自分の中学校時代の先生が思い出された。


教師と呼ばれる人々と必ずしも良い関係を築いてきたとは言えない人生の中で、最も影響を受けたと言えるのはとある英語の若い女性教師であったように思う。中高一貫男子校に赴任したてのその教師(男子校なので珍しかった)は、いわゆるIQ的なものに関してはそう得意ではなかったが、何よりも明るいこと、またそれゆえかの善良さによって、なめれらながらも好かれていたと記憶している。


中学三年か高校一年の頃、今で言うところの総合学習的な時間があって、彼女の受け持ちである英語で歌おう的なレッスンを受けていたのだが、とあるフレーズが今も強く記憶に残っている。


What do you want to be?
lawyer? doctor?....
Who do yo want to be?


確か英語でラップをつくろうというコーナーで彼女が一例作ってみせたときの一節。(一応文尾が韻を踏んでいるとのことらしい)


あなたは何になりたいの?
弁護士?医者?・・・
あなたはどんな人になりたいの?


中高一貫校で中学三年か高校一年というとまさにモラトリアムのまっただ中で、自分も人並に将来どうしようかとか考えていたりもしたのだが、当時はあまりに"what"にあたるもの・・・社会的な位置づけや役割/functionalなもの・・・ばかり考えていたような気がする。それこそ、どんな職業に就こうかなどといったようなこと。また、社会的にもそのような感覚が普通であったように思う。


そんな中で、"Who do yo want to be?"という表現が強く迫ってきたのだが、当時の自分は何のレスポンスもできなかったのであった。この言葉を聞いて、その後に人生が大きく変わったということはないし、"who"が明確に形作られたというわかりやすい結論もないのだが、ことあるごとにそのフレーズが思い出される。そして、何か迷っているときに、ある種のサジェスチョンを与えてくれる存在でもあった・・・人生の通奏重低音の一つと呼べるものであろうか。