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オブジェクト思考ブロギング

法廷モデル

evidence, defense
科学の世界でも、法廷モデルっぽい言葉が使われている。科学の仕組みや制度として法廷モデルが使用されているように見える。自然科学の中身そのものとしても、lex/lawという法の言葉が自然の法則にも転用された歴史的な経緯が気になる。

 

「都市の誕生に伴い、裁判官が市民集団、共同体全体を代表し、係争当事者を超越したこの非人格的存在の化身として、彼自身の判断によって決定を下し、彼の良心に従い法の定めるところによって裁断するようになるとき、証拠、証言、判決等の観念そのものも根本的に変容する、すなわち爾後裁判官の努めは、真相を明かし、これに基づいて判決することになる。・・・このようにして司法活動は、「慣習法」の枠内で行われる古い裁判が知らなかった、客観的真理の観念の形成に貢献することになるのである。」
(ヴェルナン『ギリシャ思想の起原』p.83)

 

アリストテレスは、ポリスを構成する市民(ポリテース)の条件として、民会と裁判の参加をあげる(『政治学』1275a)。ポリテースを一種の資格、「動物としてのヒト」との線引きとしてみると、民会と裁判(法廷)こそが野蛮ではない文明化された市民 (the civilized) をつくるものと言えるかも。今では市民権というと選挙への参加(間接的な民会参加)のイメージがある。裁判への参加は、日本で生活しているとイメージがつきにくい。しかし、『政治学』の最初でも、ポリスの秩序の根幹として裁判(ディケー)をあげており、繰り返し裁判への参加や判決(クリシス)がポリスの根幹をなすと述べている。

 

「動物のなかで人間だけが言葉をもつ。・・・人間に独自な言葉は、利と不利を、したがってまた正(ディカイオン)と不正を表示するためにある。・・・人間がそれら[善と悪、正と不正など]を共有することが家や国家を作るからである。・・・それゆえ、徳を欠くならば、人間はもっとも不敬で、もっとも野蛮な存在、性と飲食に関してもっとも劣悪な存在になる。これに対して正義[の徳]は国家(ポリス)的性格のものである。なぜなら、[法にもとづく]裁きは国家(ポリス)共同体の秩序であるが、裁きとは正しいことの判定をくだすことだからである。」(牛田訳『政治学』1253a)

 ἡ δὲ δικαιοσύνη πολιτικόν: ἡ γὰρ δίκη πολιτικῆς κοινωνίας τάξις ἐστίν, ἡ δὲ δικαιοσύνη τοῦ δικαίου κρίσις. 

 

「それなくしては国家(ポリス)が存立しえないようなもの[必須条件]がどれほどあるかを検討しなければならない。・・・数の上では第六だが、すべてのうちでもっとも必要なものとして、公共の利益と市民相互のあいだの正、不正についての判定があらねばならない。」(牛田訳『政治学』1328b)

 

ポリス=防壁に囲まれた都市という限られた範囲やその社会だとすれば、「正義/裁きは(村社会ではない)都市的性格のものである。なぜなら、裁判は都市 (polis/civitas) 共同体としての秩序化 (civil-ization) であるが、裁きとは正しいことの判定をくだすことだからである。」という解釈もできたりするものなのか。少なくとも、『政治学』第7巻第4章のポリスの大きさの議論からは、現代でいうところの国家の大きさは想定されていない。法廷が、ヒトという動物の群れを、人々の都市(ポリス)となすのか。

 

アリストテレスの著作目録を見ると、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9%E8%91%97%E4%BD%9C%E7%9B%AE%E9%8C%B2
この一派の収集癖が、判例集(ディカイオーマタ)というものにも向かっていそう。どんな内容と形式だったんだろう。長年師事したプラトンが司法を嫌い、最も長い著作『法律(ノモイ)』で長々と規範やあるべき姿をそこで説いていたのと対照的。プラトンがヒトの美徳を当てにしつつ、法律的な法・道徳の主体化を勧め進めることで、その善良さを耕す (culture) ことで上に向かう思考をしているのに対して、アリストテレスはヒトの悪徳を前提としつつ、その醜さを都市集団化する (civil-ize) ことで司法的になんとか抑える方向を思考しているかのよう。

 

「すなわち、魂(プシュケー)のための技術は、これを政治術(ポリティケー)呼んでいるのですが、他方、身体のための技術には、そうすぐとは一つの名称をあたえることはできません。けれども、身体の世話をするという点では、それは一つのものであって、そのなかには二つの分があると言っているのです。つまり、その一つは体育術であり、もう一つは医術です。これに対して、政治術のなかで体育術に相当するものは立法術(ノモテティケー)であり、また医術に相当するものは司法(ディカイオシュネー)です。」(加来訳『ゴルギアス』464B)

 

体育にも優れたプラトンは医術や法廷技術がはびこる状態に不満なよう(『国家』405AB)だが、ヒトの身体から出る排泄物が否定しがたいように、人の魂から出る排泄物も同じように否定しがたい。どんなに美しいヒトも排泄をするように、どんなに清い人もまったく魂に汚物がないとはいえない。アカデメイアの体育場でいくら身体を鍛えたところで、出るものは出るし、病気になるときはなる。このコス派の医者の息子は、ヒトの出す汚物の扱いに慣れている。司法・・・魂の医術(psyches-iatreion/psychiatry)・・・は、ヒトの愚かさ、汚さ、醜さを扱う。暴虐、貪欲、嫉妬、嘘、怠惰、奴隷根性。下水道が汚物による健康の破壊を防ぐように、魂の排泄物にも下水道が必要になる。それは都市の中から整備される。下水整備が疫病を防ぐように、魂のための下水道技術も、ヒトたちの群れを「疫病」から防る。

 

「人間の外から人間の中に入ってきて、人間を穢すことのできるものなぞない。人間の中から出て来るものが人間の穢すものなのだ。」(田川訳マルコ7-15)

 

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アイスキュロスオレステス三部作』は、まさに怨念や復讐の醜さからの法廷の誕生を、特にアテナイという土地においてアテナという守護神の設立として明示して描いている。ギリシャ全土・全般ではなく、アテナイという固有名詞とともに描いている。訴訟屋(シュコパンテス)はアテナイの(悪名高い)名物だったらしいが、裁判システムというのが、数あるポリスの中でもアテナイを特徴づけるシステムだったのかも。

 

『クリトン』のソクラテスについて、悪法も法なりと言われるが、実際にソクラテスが従っているのは、納得できないものの権威は認めている判決。悪判決も判決なり、というのがおそらく正しい。納得できない判決でもそれに従うことで、しかも命という対価を支払いながら、司法秩序としての法秩序(ノモイ)にコミットしている。劇中ソクラテスいわく70歳で初めての法廷(『弁明』17D)らしいが、判決に従うことには強い意志がある。仮に法廷そのものの経験はほとんどないとしても、法廷を中心とした司法秩序と判決というものに権威を認めていたとしたら、対話術(ディアレクティケー)とは、公に制度化された法廷の脱制度化、私生活化として捉えることもできそうな。

 

「われわれのほうでも彼と張り合って、弁論(ロゴス)に弁論を対立させ、こんどは正義(ディカイオン)がどれだけの利点をもっているかを数え上げ、そのうえで彼がもう一度それに応酬し、さらにわれわれが別の弁論でそれに答える、というやり方も可能だろう。ただその場合には、両方の側がそれぞれの弁論で述べたてた利点を勘定し比較考量することが必要になってきて、そうなるとまた、あいだに立って判定をくだす裁判官たちが必要になるだろう。けれども、ちょうどさっきしていたように、お互いに相手の言うことに同意を与え合いながら考察をすすめるようにすれば、われわれは自分たちだけで、裁判官(ディカスタイ)と弁論人(レトレス)を同時に兼ねることができるだろう」(藤沢訳『国家(ポリテイア)』348AB)

 

法廷弁論と審判の二者化・私生活化。アリストテレスは、非アテナイ市民の観照的な学者として、法廷という都市文明化のシステムを客体として見ている。心底アテナイ市民のソクラテスはこれを圧倒的に主体化している。そして、ポリスを成り立たせる政治の技術としての法廷を、公式の制度だけではなく、他人の私生活の隅々まで行き渡らせる。確かに迷惑だ。

 

「ぼくの考えでは、アテナイ人の中で、真の意味での政治の技術に手をつけているのは、ぼく一人だけとはあえて言わないとしても、その数少ない人たちの中の一人であり、しかも現代の人たちの中では、ぼくだけが一人、ほんとうの政治の仕事(ポリティカ)を行っているのだと思っている。」(加来訳『ゴルギアス』521D)

 

法廷による都市文明化 (civilization) 。この仕事をさらに進めると、法廷モデルの私生活化から、さらに個人での内面化というところだろうか。三者が揃う公の法廷を、二者の日常対話とし、そして一者の中の内面化に進む。法廷モデルを内面化することで、都市文明化が、集団だけでなく個人の中で主体化され、常にあるものとなる。ただし、客観性という法廷の肝を失う危険をおかして。法律的には自己契約というものは無効らしい。しかし、自己と自己の契約こそが、倫理の肝のように思う。アポリア

 

scienceとscienceが法廷で出会い、互いに弁論をつくして争った。審判のもと二人は新しい約束を結ぶことにした。二人は契りやがて一つになった。交戦の交尾の交配から、二人の子どもが生まれた。con-scienceの誕生である。この子どもは親たちに従うこともあったが、反することもしばしばあった。