アレクサンドリア図書館
かつてのアレクサンドリア図書館には、ψυχῆς ἰατρείον (psyche - iatreion) と掲げられていたらしい。書物・図書館とは、魂の診療所である、と。
これは、書物にある情報そのものが癒しの機能を持つというよりは、書物に向き合う過程が診療所の診察のように機能している、と考えるところだろうか。書物の知識とは、書物から得られる知を識ること。識ることを、内面化・主体化として、かつ自分と知の関係を再帰的に認めることとすると(認知=cognition vs 認識=re-cognition)、書物という鏡の知を通して、自らも識ること。
さらにさかのぼり古拙の時代には、ψυχῆ (psyche) とは息であり、死んだときに飛び出るものとして考えられたものであったらしい。「生者-死者=」の演算として導かれる。「生者-死者=」の演算として導かれたものの診療所*1。書物が棚に並ぶ時、彼らは死者の位牌として、生者を見つめることになる。生者は死者に見つめられることになる。不死の神々は死ぬことはない。人々は、死んで紙々となる。
ψυχῆς ἰατρείον (psyche - iatreion)・・・死者たちの魂の診療所。死者たちも、自分たちの声を聞いてほしい。その声を聞く人が訪れる。アレクサンドリアの図書館は、「彼らの魂」の診療所となる。紙をのぞくとき、お前も紙にのぞかれている。紙紙の鏡の先からのぞかれている。アレクサンドリア図書館・・・この建物は死者たちの声で騒がしい。生者が紙に向かい、死者の声を聞くとき、鏡の先に自らと死者の声を聴くことななる。こだまでしょうか。いいえ、だれでも。