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オブジェクト思考ブロギング

テアトロクラティア

 

悲劇の誕生 - ideomics

プラトンは『法律(ノモイ)』において、テアトロクラティア(観客支配・観客権力)を批判するが (701A) 、この戯曲家こそが、ソクラテスを主人公として観客の喝采による支配を試みているのだと知っている。彼は、脚本家であると同時に、自身が観客の第1者となる*1。なんとテアトロクラティアな男だろう。彼は、神々から観客の地位を奪ったのだ。

 

役者の声はポリスとともに過ぎ去り、書かれた文字だけが残った。舞台に演じる役者たちはもういない。ただ観客だけが残されている。不死の神々も観劇から立ち去り、死すべき見物人だけが残された。見物人たちは話し合う。劇の感想、役者の魅力、脚本の出来、、、見物人たちは劇が終わった後に話し合う。彼らは賢かったから。終わった後に話し合えば間違えることも少ない。

 

舞踏の武闘の舞台から言葉だけが残り、やがて戯曲の文字になった。演じられた体と声はどこかになくなり、文字だけが残った。あの戯曲たちは舞台で演じられることもなく、文字の戯曲として私たちに残されている。彼の『ポリテイア』とは、この残された戯曲たちだったのだ。ポリスは失われたが、『ポリテイア』は残った。

 

母なるポリスは、産褥熱で命を失うことになった。竈の火はもう消えた。彼女は誰よりも子どもたちを心配していた。残された父なるノモスは、独り身で途方に暮れている。神々の聖体から生まれた紙々の生体は、やがて大きな怪物となり、人々の生態を支配する。この子を心配していた母の姿はもういない。子どもはあまりに大きく強くなり過ぎた。この子を心配していた母の姿はもういない。父は力なく途方にくれている。リヴァイアサンの誕生である。

 

天から見下ろす観客 (theoros) の席は、不死の神々 (theoi) のものだったが、死すべき人々が押し寄せ、やがて神々に代わりにその席を埋め尽くすようになった。混み合う観客たちに埋もれ、役者はやがて見えなくなった。混み合いすぎて前が見えない。感想を観想する (theorein) 観客たちは、混み合いすぎて息を生きすることができない。

 

天に開かれ天に向かうはずの舞台に屋根ができ、戸もまた閉められるようになった。息(psyche)から生まれた翼ある言葉は行き先を失う。天に向かいたかったが、屋根と戸が邪魔して動けない。やがて生きた息(psyche)も窒息するようになった。観劇の感激もこの地にとどまることになったが、観想に感想を重ねるうちに、間奏の間に乾燥してしまった。彼女がaction!と叫ぶ時、彼女はこの世界の役者たちにこの世界の舞台であなたの劇を演じて欲しい。

*1:「対話篇におけるプラトンの不在は、描かれた対話と著者との根源的な距離をあらわしている。・・・対話に巻き込まれている時、人はその対話を見ることはできない。対話を書くこと、それを読むことが、対話を目の前におき、冷静な判断の対象とする。プラトンは対話から自らを消すことで、まさに、対話する自身を別の視点から見つめ直そうとしたのである。」(納富信留プラトン 哲学者とは何か』P22)