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オブジェクト思考ブロギング

オリンピア

「万人の万人に対する闘争」とはなんと苛烈な世界なことか、と人は言う。
半分正しく半分間違っている。
闘争の対岸に見えるものは何か?
平和ではない。支配 (domination) がある。
少数による多数の支配、あるいは多数による少数の支配。
その世界では闘争は許されず、支配と従属がある。
支配の家のもとに保護があり、
平和とは、支配の僕のことであった。
その家の中もまた苛烈であり、
ただその苛烈さが見えないだけだったのだ。
彼女の姿は優美で柔和だが、彼女は家 (domus) の主人に囲われていたのだ。

 

人が闘争に立つ時、そこでは相手と同じ平面に立っている。
フットボール、テニス、ボクシングにラグビー、、、
あの相撲でさえ、等しく平らな地に立つことになる。
等しく平らに立つことで、平等となる。
ただし、庇護と安寧を犠牲にして。

 

正当性とは、すなわち正闘性のことであり、
闘いに正しく向かうこと、闘いを正しく行うことことにあった。
ギリシャ人はオリンピアに向かい、
ポリスの中のポリス、ポリスの上のポリス、コスモポリスへと向かう。
オイコスの重力を追い越し、オイコスの天井をつきぬけ、
ポリスの天上もつきぬけ、コスモスへと向かう。
ただし、つかのまの出来事として。