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オブジェクト思考ブロギング

ソクラテスのサンバ術

宮を囲んで子どものように友と共に舞い踊り、みな宮の子になった。
宮の子が祭りごとに集まるごとに、都の政になった。
都が1となり、都が市になり、市が都となり、市もまた1となり、都と市は都市に1つになった。

 

現実的には非対称だが、祝祭で水平化する:
2のまま2を1とする過程と学ぶ課程を、問答の術 (dialec-tics) とし、
3のまま3を1とする過程と学ぶ課程を、三位の術 (tri...-tics) とし、
・・・
nのままnを1とする過程と学ぶ課程を、政の術 (poli-tics) と、仮定する*1

 

X=A1=A2=...=An
であるが、同時に、
A1≠A2......A1≠An,
A2≠A3...A2≠An,
...
..
An-1≠An
Xが最大の創意工夫 (invention) であり、互い同士の融合は「なく」、個別を保証しつつ、Xとのみの一体化。

 

自らをN分割して、NのままNを1とする過程と学ぶ課程を、個人(in-dividual)の術と呼べるだろうが、ただし、now-hereの自分は、今やno-whereな過去の自分に対して特権的であり、完全に同格とはいえない。ここでもX=identityが最大の創意工夫。共時の論理においては無理に見えるが、正直まだよくわかっていないが、とりあえず経時のズレを表しているのか、というところでごまかす。

 

無知(不知)の知。ヒト/人/人間としての知力(sophia, s1, s2,...sn)の差は大きくあるけれど、自然や宇宙全体に想定される無限の知(Sophia, S)に対すると、sk (1≦k≦n) がどんなに大きくても、Sに比べると0に近い。という意味で水平化され、0を中心として一体化する。カーニバル化される瞬間がある。

 

s1, s2,...snが、差異あるものの皆0に限りなく近づくカーニバル。ソクラテスの振り付けで踊るサンバ(Samba)術。現代では南アメリカの都市部に最もよく伝わっており、日本語では産婆術の当て字でよく知られている。彼は、dia-lec-ticsをnに拡張することで、既にpoli(poly)-ticsの踊りの振り付けもしていたのだった。祭り事で政。ソクラテスの最期は、踊りの振り付けをしているようにも見える。

 

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「ぼくの考えでは、アテナイ人の中で、真の意味での政=祭り事の技術に手をつけているのは、ぼく一人だけとはあえて言わないとしても、その数少ない人たちの中の一人であり、しかも現代の人たちの中では、ぼくだけが一人、ほんとうの政=祭り事の仕事を行っているのだと思っている。」(加来訳『ゴルギアス』521D改変)

 

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uni-versitas (versus)
対立を一に。ヨンパルト『教会法とは何だろうか』によると、persona juridicaが法人にあたるが、universitasという語も使われるらしい。大学論というのは、法人論も含んでいるのだろう。

 

「「法人」という制度は、教会法では国家法上の法人よりも古い歴史を持ち、またこの制度については相当の議論があった(例えば、何人で一つの法人が設立され得るか、・・・)。」(ヨンパルト『教会法とは何だろうか』)

 

「法人は、bona fidesに基づく信用を用済みとし、それに伴う厄介なコストを省くためのものであると考えられた形跡がある。これもまた所有権モデルの優越という歴史的事象の一環である。・・・しかし法人はその成り立ちからしてbona fidesの上にのみ組み立てうるという初歩は見失われている。まして、元来bona fidesを裏打ちしていた政治システムの要素を大規模に復元しなければならないという問題は意識されない。法人理論に内在する神学的基礎を復元するだけで、たちまちそのような課題は意識されるであろうに。」(木庭顕『新板ローマ法案内』)

 

*1:ただし、政の術 (poli-tics) のnは上限があるかもしれない。上限を超えると、統治機構(state)の術(sta-tics)になる可能性が高い。