ideomics

オブジェクト思考ブロギング

Mamma-l, All Too Mamma-l

ドゥルーズによると、philo-sophiaとは、知(sophia)との友愛 (philia) らしい。敵と書いてトモと呼び、友と書いてライバルと読む。そんな距離感。一方で、sophiaとerosな関係があり、主体化・一体化(主体性と主観性)としての知との性愛関係、eros-sophiaがある。re-ligion=再結合、主体と一体化 (eros) =主体化がある。対極として、critique, science、いずれも語源に切断があり、客体化=脱主体化の運動。オブジェクト志向な思考で切断する。客体化と主体化の往復、ピストン運動としてのphilo-sophia

 

cognition(認知、知る)
re-cognition(認識、識る)
re-を再帰性としてみよう。再帰的な認知としての認識*1。自らの細胞を取り出し、より原初に近く多能な細胞へと脱分化させ、それを別方向に再分化して、自らに移植し返す。文を書く、自らと切り離す。自分の視界と網膜のtextureをtextとしてぺりぺりはがし、textのtextileの裁断・裁縫を経て衣服とし改めて着てみる。エクリチュールクチュリエール*2が、textのtextileを裁断して、テイラーメイドに文章=服飾を作り出す。

 

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erosの営みから間接的に生まれたmommy=mammaは、おそらく主体化されすぎている。erosから生まれたあまりに、主体に一体化されすぎている。mummyはピラミッドの奥深く隠されており、中にたどりつくことはなかなかできない。それを明かすと呪いがかかる。mommyも奥深くに隠されており、その深奥にたどりつくことはなかなかできない。それを明かすと呪いがかかる。そっとしておこう。。。水と健康と母の愛はタダ・・・これが「自然」の法則だ*3

 

"Mamma-l, All Too Mamma-l"...哺乳類=母的な、あまりに哺乳類=母的な、我々の社会とその『家族の基本構造』。。。それを識り過ぎたものは、共同体の罰を受け、イオカステの息子のように、自ら両目を潰すことになるだろう。

 

インセスト禁忌は純粋に文化に根ざすのでも、純粋に自然に根ざすのでもない。・・・それのおかげで、またそれによって、とりわけそれにおいて自然から文化への移行が達成される根本的手続き、これがインセスト禁忌なのである。」
「どんな婚姻もゆえに自然と文化、血族性と姻族性との劇的な出会いなのである。」
「社会状態が親族規則と婚姻規則を必要とさせるのではない。それらの規則がほかならぬ社会状態なのである。」
レヴィ=ストロース『親族の基本構造』)

 

しかし、mommyはもう疲れたよ。mummyになってもう永久に眠ってしまいたいよ。。。このmamma-l-ism(<哺乳類=母性>主義)と『家族の基本構造』は、critiqueと技術化を求めていた。mommyの細胞*4を取り出し、より原初に近く多能な細胞へと脱分化させ、それを別方向に再分化して、誰かに移植し返す。文を書く、主体と切り離す。我々の視界と網膜のtextureをtextとしてぺりぺりはがし、textのtextileの裁断・裁縫を経て衣服とし改めて着てみる。

 

客体化された、技術化された技術(techne/art, technologizing)としてのmaternityの主体化。既にmaternityは様々に技術化されており、これらの技術は、当然ながらこれまで継承・進歩し続けてきたし、これからもそうだろう。とはいえ、おそらく価値に対してクレジットは全く足りておらず、これは母へのクレジット不足と関係はありそうだ。producerは映画のエンドロールの筆頭に出てくるが、re-producerはエンドロールに載ることがほとんどない。productivityについて理知的に語られる機会はたくさんあるが、re-productivityについて理知的に語られる機会はより少ない。

*1:知能的 (intelligent) と知性的 (intellecutal) の差も似ているかも。

*2:フランス語では成り立たないけど、カタカナとしてご容赦あれ

*3:「家の最初にして最小の部分は、主人と奴隷、夫と妻、父と子という関係なのであるから、これら三つの関係について、各々がどんなものであるべきか、どういう性質のものであるべきかを考察しなければならないであろう。すなわち、それらは主人に関する術、婚姻に関する術・・・、第三に子作りの術――これにも固有の名づけがないからこう呼んでおく――である。こうしてわれわれが語ったよう、[家政を構成する]術は三つあるとしておこう。」(アリストテレス・牛田訳『政治学(ポリティカ)』第1巻第3章 家政とその部分)・・・ここで抜けている母と子の関係は、oikosのnomosではなく、oikosのphysis (physi-cs, physi-cal) そのものだから、語る対象ではないということだろうか。

*4:子どもとは、細胞質とその器官とゲノム情報半分の起源で言えばこれに当たる