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オブジェクト思考ブロギング

祭りごとのお約束

10月30日。いつも混んでる駅のハロウィン祭りが閑散としていた。大雨のせいだろう。祭りは天気次第。人の業をえた部分がある。神はサイコロを振らないという言葉があるけど、サイコロ(確率)こそが、神(超越的)なのではないか、決定論こそ人間的、あまりに人間的な考え方なのではないかと思うこともある。

大雨の中でも、ハロウィンに繰り出す人々。一年に一度、浮世の仮装を解いている。

 

神が紙となったとき、律法は法律となり、会社が社会となった。神と君の統治を倒置し、民の統治となり、なおさら紙は一層必要だった。東大に登第し、統治の等値な政策の製作を学んだ者が、紙を司る。統治が倒置されると、君はミッキーとなった。ミッキーを祀り奉る祭りごとが舞浜にできた。

 

皆で集まり、君のミッキーを祀り、祭りで奉る。皆でミッキーを待って、祭りを舞って、集まりごとが成り立った。集まる毎に暗黙の約束ができ、祭り事になり、祭り事に言葉の約束が加わり、新しい政になった。はじまりに約束がある。祭り事としての政は、祀り奉ることで、はじめて「集まりごと」が成り立った。東大に登第し政策を製作する者は、祭りごとが得意とは必ずしも限らない。

 

祭り事から生まれる政。それは、ディズニーリゾートで日々生まれている。開業とともにファストパスに向かって走り出すお父さんたちに、キャストたちが「走らないでくださ~い」と声をかけ、彼らが自ら足を止めるとき、そこには言葉の約束が生まれていたのだった。ディズニーリゾートは、祭りごとの始まりとともに、最古の政の始まりを告げている。

 

「祭りに参加できるかどうかということは大変大きなことなのです。ある町では被差別民は祭りに参加できないのです。職人も参加できないばあいが多いのですが、娼婦は参加できました。」(阿部謹也『西洋中世の男と女』)

 

ディズニーランドの入場制限は6, 7万人。この数字は、古代ポリスの市民の数を根拠に決められている。

 

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お約束は、楽しいことから始まる。言葉、あるいは歌から始まる。

 

宇多田ヒカル。私情を詩情と市場にのせて、歌が光り響き渡った。その光と音で、日本語とにほんごに、alphabetと奇妙な発声が発生した。日本語は4つの文字を持ち、にほんごはLとRが少しわかった。彼女の名前は動詞となり、国家の骨格を形作った。

 

「なぜなら、およそどのような場合にも、国家社会の最も重要な習わしや法にまで影響を与えることなしには、音楽・文芸の諸形式を変え動かすことはできないのだから。これはダモンも言っていることだし、ぼくもそう信じている。」(藤沢訳『ポリテイア(国家)』424C)

 

『ポリテイア(国家)』の対話篇は、女神ベンディスのお祭りの帰り道から始まっている。お祭りの帰り道、何人かで話し合う。祭りの後に集まりごと。祭りの後に政。

 

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「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」
戦いとは他の手段をもってする祭りごとの継続である。

 

血祭りにあげる、血のお祭りでアゲていく。
それはおそらく、(道徳的な理性とは別に)ヒトの否定しがたい部分があるのだろう。

 

二大政党性は、トロイア戦争に由来している。
トロイア戦争もまた、二大政党性に由来している。

 

戦いをお祭りに。オリンピック。スーパーボウル日本シリーズチャンピオンズカップ
味の素スタジアムの収容観客人数は5万人。この数字もまた、古代ポリスの市民の数を根拠に決められている。

 

democracyを民主主義と訳す。民が主となり、主義と思いをぶつけあう祭りごと。democracyを民衆統治と訳す。統治について考える。ヒトの思いや主義と統治の間には、一定の留保で一部に保留がある。間に、紙と法がある。バヴロックによると、『ポリテイア』は政府論というより教育論だと。著者の実践(アカデメイア)含め、言われてみればそりゃそうだという感じだけど、『国家』という統治機構寄りのタイトルだと忘れてしまいやすい。政治。政と治。祭りごとと統治。その間、あるいは直線の外に点を打つもの。

政治:政(祭り事)と治(統治) - ideomics