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オブジェクト思考ブロギング

ブリリアントカット

胸像で反射(reflection)された視線は内省(reflection)となる。
人々は、視線を自らに向けるために、仏像を作った。
仏像を覗くとき、お前もまた仏像に覗かれている。

 

鏡像で反射(reflection)された視線も当然、内省(reflection)となる。
人々は、視線を自らに向けるために、鏡を作った。
鏡を覗くとき、そこに映った私とは、ほんの少しのずれがある。

 

視線が折り返される。胸像が、そして鏡像が視線を反射する。記録に残る限り、ローマのマルティアという女性・・・画家の娘らしい・・・が初めて自画像を描いたとか。この頃、初めて鏡が作られた。(伝聞、プリニウス『博物誌』)

 

恋人たちが婚約の徴としてブリリアンカットのダイヤモンドを贈るとき、様々に咲き乱れる反射光(reflection)は、様々に咲き乱れる内省(reflection)を意味している。それは、その後の家庭を作る過程で、様々に咲き乱れる複雑な内省が生じることを、光学的に顕しているのだった。

 

「人は自分の家を治めるように、しかも国家のなかで自分の役目を果たすように、自分自身を治めなければならないのだから、・・・自分自身の取締りを確実に実施すること、自分の家の管理を行うこと、国家の統治に参与すること、これらは同じ型の三つの実践なのである。・・・クセノフォンの『家庭管理(オイコノミコス)』が明示するのは、これら三つの≪技術≫のあいだの連続性と異質同形性であり、また、個人の生活におけるこれら三つの営みの時間的な継起でもある。」(フーコー『快楽の活用』)

 

ピカソは、絵画を絵画のままブリリアントカットすることを思いついた。彼は絵画と結婚することを約束したのだった(後に浮気する)。しかし、ダイヤモンドのブリリアンカットはまったく容易ではない。言語をブリリアントカットできる職人は数少ない。ブリリアンカットには58面いるらしい。言語を58面にカットし複雑な反射=内省を生み出す。。。そんなことが、しかし、可能なのだろうか。。。