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オブジェクト思考ブロギング

『にほんご』安野 光雅・大岡 信・谷川 俊太郎・松居 直

 

にほんご (福音館の単行本)

にほんご (福音館の単行本)

 

 

子供が声出して読んでいるのを隣の部屋で聞く。音感が際立っている。谷川俊太郎氏 x 福音館書店で、そりゃハズレないでしょう、と思っていたけど、それどころではない。

 

昔々、ロダン美術館の『考える人』の前で、なんにも考えない人になってたら、いろんな国の人がたくさん通り過ぎ、いろんな国の言葉が、言語というより楽器の音の質感の違いのように聞こえてきたことがあった。いろんな国の言葉が、意味よりまず音になったとき、たまたま聞いた日本語が、外国語のように音になっていた。そうした「にほんご」は、極東の島国に生まれてもう何やったって文化的なものは仕方ないよな。。。みたいないじけた考えを一旦キャンセルする力があった。一旦ではあったけど。。。

 

「音とイメージが、イメージと音が自動機械のような精密さでうまくかみあい、その結果〈意味〉などというつまらぬものが入りこむ隙間が残されていないときにのみ、言語は言語そのものであるように思われた。イメージと言語が優先する。」ベンヤミンシュルレアリスム
(Twitter @w_benjamin_bot より孫引き)

 

言葉には3つの住所(address)がある。響き、綴り、意味。それぞれ異なるご近所さん(隣人)がいる。声=空気=pneuma=spritと、綴り=書字=scriptと、差異(split)としての意味。3つの空間のそれぞれの不動産。現実とは異なる空間に不動産を持つことで、誰でも「土地持ち」になれる*1。それぞれのご近所さんに向かって(ad-)、三つの衣装(dress)を使い分ける。住所(ad-dress)とは、隣人に向かう(ad-)衣装(dress)であった。汝の隣人を愛せよ。

 

シニフィアンシニフィエがずれていくことで、隙間=空間が生まれる。シニフィアンの音が反響する。記号(sign)が音響空間として設計(design)され、やがて音が響き渡ることで、意味から脱し、脱記号化(de-sign)される。

 

科学的な言説では、記号と意味は一対一対応に近づく方が望ましいが、建築的な作業としては、空間が広い方が心地よいことも多い。「煙に巻く」という表現があるけど、言葉によって「煙」を、つまり広がりのある空間を出現させようという意図なら、それは目的と言っても良い。固体のような液体のような気体のような空間的な煙。加湿器として機能しようとしている。もくもく。言葉とは、一種の加湿器でもあったのだ。翻訳という作業も、きっと一種の反響空間を作っている。

 

まだ言葉というものが不確かだった時代、言葉を操れること自体が、不可思議で精霊的(spiritual)な能力だったのかもしれない。ちょうど文字が現れ始めた時、書字・綴り(script/spell)を扱えることが魔術・呪文(spell)であったように。

 

こども(幼児~学童)の養育
子供(学童~思春期)の教育
こどもが、子どもとなり、子供になっていく。声の文化から、文字の文明へと移っていく。こどもには、まず声が大事。直線的に変化するのではなく、地層的に重なっていくのは言うまでもなく。

 

「ラファエルのように描くのに4年かかった。「こども」のように描くのに一生かかった。」(パブロ・ピカソ

 

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<本書あとがき抜粋の帯より>
・「読み」「書く」ことよりも、「話す」「聞く」ことを先行させています。
・言語を知識というよりも、自分と他人との間の関係をつくる行動のひとつとして、まずとらえています。

 

*1:3つの空間にいるそれぞれの不動産業者。不動産業者には土地測量(geo-metry)が必要だ。