ideomics

オブジェクト思考ブロギング

書物の副作用

本を読まなくなって、ウェブでは情報が断片化されて、という批判がある。しかし、一方で、本のような直線的な「ストーリー」というのも危険ではある。特に直線的な小説の構造。

 

言葉や文字が認知をフレーミングするのは言うまでもないが、本の構造自体も認知をフレーミングしてしまっているのかもしれない。後天的な「人間的、あまりに人間的な」認知の構造。本の副作用としての認知バイアス。例えば、historyにhis storyを投影すること。

 

小説の嘘っぽさとは、内容ではなく、一貫した流れそのものにある。ストーリーとは、真理ではなく心理にあり、それは審理を経たものではない。こころに理(ことわり)に想定するのは、あまりに人間的な所産ではなかろうか。。。

 

真理とは最新の誤謬である。(ニーチェ

心理とは最深の誤謬である。

 

「それ(Carothers 1959)によれば、声の文化のなかで生きている人びとは、ふつう、分裂病的行動を外面化するが、文字に慣れた人びとはそれを内面化する、というのである。」(オング『声の文化と文字の文化』)

 

『異邦人』でカミュムルソーが撃ったアラブ人は、小説家になりたいという希望を持って心理学を学んでいた。文字と書物の病に憑かれた者を治してくれる医者は少ない。そして、健康保険も使えない。

 

Googleがかれらの「ウェブ」から人力を排除したということは、書字のなかにはくりかえしあらわれていた素朴で線分的、直列的な、文字の文明にもとづくスタイルの思考を、Googleがしりぞけたということである。かわりにGoogleが支持したのは、世界と思考そのものののするどい数字化ないし機械化であり、そうしたことは、シリコンバレー人のこころにAlphabet社が内面化されることによって可能になったのだった。」(WJ. OMG "Literacy and Computeracy - The Technologizing of the Number")

literacy = letter-cracy のこれまでとこれから - ideomics