ideomics

オブジェクト思考ブロギング

人々と人間

人々=人人人人人...
人間=人・人・人・人・人...
そこには間(・)があった。
⊿human = d + human = human + d = hum + and = Homo + AND
ANDを「間」として理解すると、Homo ANDは、人+間と訳すことになる。humanのdifference/differentialから、間が生まれた。間がなければ、間抜け。間が長すぎると間延び。
 
人々が人間となり、そこから間と個人が切り出された。個人が集まって人々になったわけではない。間=ANDとは、言葉/約束であり、文字/契約であり、数字/通貨だった。通貨/数字も契約/文字も約束/言葉も、人々を一旦切断し、再接合(re-ligation = re-ligion)して人間を作っている。
 
この間(AND)がなければ、人や人々ではあっても、人間にはなれなかった。人々は、まずはじめに約束して人間になる。文字と契約のプロ、弁護士。数字と通貨のプロ、銀行家。言葉と約束のプロ、とは何だろう。
 
物語とは、通貨としての言葉のお約束。この世という演劇の舞台の台本。組体操の延長でもある。なぜなら、字義通り、この世は舞台で、生きることは演じることだから。物語・・・これは物語れの命令形の短縮であり、動作を指示している。話す。つまり、舌で言う。語る。つまり、口で五つ言う。顔の筋肉を動かす。
 
"I hold the world but as the world, Gratiano,
A stage where every man must play a part,
And mine a sad one."  - Antonio, The Merchant of Venice
 
ベニスの商人』であるアントニオは、1ポンド分の肉として、文字通り自分の身を物語として切り売りしている。それによって彼と友人は3000ダカットばかり通貨を得ることになった。ポーシャ扮する法律家は、この契約を文字通り執行させ、銀行家シャイロックは3000ダカット投資 することになった。(『続・ベニスの商人資本論』)
 
この間(inter)がなければ、人や人々ではあっても、人間にはなれなかった。人々は、まずはじめに約束して人間になる。集まり毎に暗黙の約束ができ、祭り事になった。祭り事に、言葉の約束が加わり政になった。はじまりに約束がある。間の要素(element)が、intronと呼ばれる。こうしてようやく、集合としての真核生物になることができた。そして間が主人ともなる。

 

msk240.hatenablog.com

  

「政治が生まれるのは、人"たちの間"においてであり、したがって<人>"の外側に"なのである。だから固有に政治的な実体があるわけではない。政治は間の関係の中で成立するのであり、関係態として存立する。このことをホッブズは分かっていた。」(アーレント・ルッツ『政治とは何か』より一部改変)
 
アレントは、人と人の間に隔てつつも接続するものとして、テーブルという喩えを用いている。三位一体、三権分立。マジカルナンバー3。これらの3という数字の根拠は、テーブルが安定するには、足が3本以上必要である、という家具の構造に由来している。そして、関係態。これは「文法」としては、どのような形なのか。

 

3人寄れば政治が生まれる。3人寄れば3体問題。政治化=政治家とは問題を複雑に、予測不能にするのが仕事であった。政治化=政治家とは、問題を解決するのではなく、開始するのが仕事である。問題を完了させるものが官僚と呼ばれる。

 

過去、現在、未来の自分の3人で相談・・・仮想的に3人寄れば文殊の知恵、バーチャル文殊の知恵。この技法は、バーチャルもんじゅ君という名前で、左右を問わず多くの人に親しまれている。言葉の意味が他との差異や対立によって明確になるとしたら、2項のうちの1か、3項のうちの1か、N項のうちの1か、でも何か変わりそうだ。