ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

natural-native-naive language

国語というのも面白い表現で、国籍境界と言語境界が一致しないことはままある。nation=言語共同体(出版=文字による紐帯)とすると、言語共同体をまたいだ統治機構の支配 (state/government) が帝国 (empire) で、nationと一致したstateがnation-stateというようにも捉えられるだろうか。少なくとも出版によって支えられた単位であれば、言語によって支えられた単位とも言えそう。


言語=貨幣というのも確かにリアリティある。言語による紐帯と貨幣による紐帯(マネーゲーム - ideomics)。言語が違うと、共同体意識は自然には持ちにくい。知とか価値とかその他の媒介・媒体がなければ。nationalismを、言語紐帯主義と訳す(解釈する)と、一種の結合・愛着の求めともいえる。言語紐帯を求める心性。


直接的な交わり*1は、社交認知能力や物理的距離の制約がある。相手の同意は一番大きなハードル。力づくに近い関係も多い。直接的な交わり (inter-course) を経ずに済ませるdis-courseはヒト世界の発明だ。直接的な関わり合いを部分的にスキップする媒介・媒体として、貨幣や法や知やゲームその他がある。直接的な関わり合いをせずに関わるプロセス、社会的 (societal) な関係の創造。


言語は、ある程度は再結合的 (re-ligious) なものでもあるが、生まれに制約されやすい。言語は自然に覚えるものではなく、環境から身についていくものだから。個人にとって、母語は、実際に「自然 (nature)」と言えるくらいのものであり、まさに、native language = natural language (母語自然言語)。一個人にとって、自然言語には自然といえるほどに超越的なものが含まれているとは、果たしていえるだろうか。

「土着性、友愛、ドクサというのが、三つの根本的特徴であり、哲学がそれのもとで生まれかつ発達する条件である。哲学は、頭のなかでは、これらの特徴を批判し、克服し、修正しているかも知れないが、依然これらの特徴のうえに指標をつけられたままでいる。」(ドゥルーズ『批評と臨床』プラトンギリシャ人たち)

土着性・・・生まれ(native)の言語によるnaiveさ。思考は言語に縛られる。nativeな言語以外で行う難しさ。そして、言語は生まれた土地に規定される。さらに、その土地が属する国 (nation) にも規定されるnationalな要素もある。そんなnaiveな存在。natural-native-naive language.と、それに支えられる思考のnaiveさ。

*1:直接的な関わり合いの最たるものは性交inter-course