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オブジェクト思考ブロギング

Individual-Social-Societal framework

ヒトの「倫理」と言われるものを考えるにあたってのIndividual-Social-Societal (ISS) framework。関係の階層性があり、関係の階層によって考え方が変わるのではないかという前提をおいたフレームワーク。原子・分子・細胞小器官・細胞・組織(回路)・器官・個体など、階層が違うと話も変わる。階層の違いを意識するフレームワーク

個人(自分-自分関係):美学(正義感覚)
ソーシャル(社交関係):善(共同体的正義)
ソサエタル(社会的関係):公正(討議的正義)


個人 (individual)=自分-自分関係=自我-自己関係。自意識(自我)と内なる他者(自己)との関係。自意識による統治を重んじるか、他者の受容(未知の受容)を重んじるか、という好みの差はあれど*1。自我と自己・・・自我による自己への愛着・信頼・信仰、その応答としての自己から自我への愛着・信頼。自我と自己の対話としての個人individual・・・分割できないもの=分割できるもの・・・自我と自己の分離と再結合 (religation = re-ligion)。

「いまや、自分自身が、自分にとって大きな謎となってしまいました。」(アウグスティヌス『告白』)


宗教と呼ばれるものを教義・団体(内集団)に分割して考える。教義については超越的な話(広義の神話)を批判的に検討した上で、超越的なものを留保しつつ合理的な理解に持って行く。集団については、集団の再結合性(re-lig-iosity)について、「高分子」として結合の原理を分析する。個人・ソーシャル・ソサエタル。力点の置き方で、仏教キリスト教イスラム教や内部の宗派を並べたくなる誘惑があるけど、知らないことが多すぎるので、さすがに止めておく。


自分の思春期青年期、共同体的な思想を強く嫌ってたけど、生まれの共同体から分離して、個人化→再結合性にいたるプロセスとして自然に思える。思想の個人的嗜好というよりは発達段階的な。若い頃に苦手だったものも、家族持って30過ぎて多少は理解できるようになった。かつての自分と総合して、発想の階層や発達の段階によるところだろう、と振りかえる。


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individual-social-societal frameworkの応用としての、individual-social-societal model (ISS model):bio-psycho-social modelからの展開のひとつとして。bio-psychoを明晰に理解しようとするRDoC的な流れと対応するpsycho-socialな部分に対してのアプローチ。整理できていないけど、ひとつの補助線として。診断:いわゆる自閉症と呼ばれる診断に対して、ゲノミクスでゲノム的な診断をつけようという動きが既にある。molecular diagnosisと呼ばれたりもするけど、RDoC的には、genetic diagnosisという方がわかりやすい。

マトリックスを展開していくと、
genetic Dx
molecular Dx
cellular Dx
cicuit Dx
physiological Dx
behavioral Dx


self-reportを接続点として、ISS modelを当てはめると
individual diagnosis
social(clinical) diagnosis
societal(statistical) diagnosis


society(社会)とsociality(社交関係):後者は、1人の個人を軸に考える範囲なので、one's socialityと固有のものになる。個人の数だけある固有名詞の関係。前者は不特定多数で、統計力学的な関係。統計的な関係では、ヒト/人/人間はカテゴリーとして還元される。統計処理できる形に還元される。例えば、statistical diagnosis。後知恵だけど、DSMはstatistical diagnosis manual (SDM)とあれば、より意義がわかりやすかったと思う。statistical diagnosis(カテゴリー)とclinical diagnosisは異なる。後者は、one's socialityの中で通用する形。individualについては考えが足りていないので保留。individual - social - societalの階層性を想定する。

*1:前者志向の人は禅に、後者志向の人は老荘に惹かれる印象だけど、まぁ印象