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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

人と人間 - human being and human inter-being

ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1)

ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1)

ディオゲネス『哲学者列伝』をちら読み。逸話としても面白いけど、形式にも興味が湧く。個々人(哲学者)の話を個人ごとに章立ててたくさん並べているが、個人Aの話に別章の主人公であるBやCが出てきて、HTMLで言うところのハイパーリンク的な構造(ネットワーク)になっている。言うなればウィキペディアのようなネットワーク構造。映画で言うと群像劇に近い形式。


「humanismとは何か」という所でぐるぐるしているが、まずは"人一般human"というより"個人individual"という特徴が気になる。

「個有」名詞 - ideomics

神や魔物や集団やマスではなく、あくまでも生きている個人、固有名詞を持った個人に注目する*1。固有名詞を各章のタイトルにして、複数個人の小伝記・批評を並べるという形式になっている。それが、ハイパーリンク的なネットワーク構造になっている。個人individual/humanと個人のネットワークとしての人間human inter-beingの表象にも見える。


人間という日本語。「間」という漢字を活かすと、なかなか英語に相当する言葉を見つけにくい。
人存在(人一般) human being
とすると、
人間存在(人間) human inter-being
という感じだろうか。とりあえずinter-を入れた表現にしてみる*2


小説などの物語も当然ヒト同士のソーシャルネットワークがあり、その展開の話が多い。この『列伝』は、そのぐちゃぐちゃした混沌を一度分割 (divide)し、それ以上分割できない単位としての「個人 = in-dividual」を取り出し、個人同士を再構成・再結合してネットワークとする。「列伝」という形式の表象性*3。ミュトスとロゴス、カオスとコスモスの間。


(規範的なニュアンスも含めて言えば)
「人間 (human inter-being) は再結合的 (re-ligious)*4
と言えるだろうか。認識の上でも実践の上でも。再結合的 (re-ligious) ・・・一度切断した方がよくつながることもある。個人としての「個有」名詞で呼び合うこと。個人が個人を認知し認知されることで人間になる、という個人から人間への存在論ontology*5


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ソクラテスは、哲学者の政治的機能はこの種の公的世界を確立するのに手を貸すことだと、信じていたふしがある。その公共世界は友情による理解の上に構築され、そこではいかなる統治者も不要なのである。

アリストテレスは次のように結論する。コミュニティの絆と思しきものは正義ではなく(プラトンは『国家』においてそう主張しているのだが)、友情である。アリストテレスにとって、友情は正義よりも重要なのである。」

アレント『政治の約束』)

「政治は人間の複数性 (plurality) という事実に基づいている。神は人 (man) を創造したが、人間 (men) は人間的にして地上的な所産であり、人間本性の所産なのである。哲学と神学が関心を持つのはつねに人一般であり、あらゆる科学的思考にとって、存在するのは人一般だけなのである。」

「政治の目的は「人」というよりも、人と人の"間"に生起して人を超えて持続する「間=世界」なのである。」

アレント『政治の約束』翻訳一部改変)

inter-viewは直訳すれば間・視界。まさしく間=世界。

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Seikkula J. et al.
"Postmodern society and social networks: open and anticipation dialogues in network meetings" (Family Process 2003)
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1545-5300.2003.42201.x/abstract

では"network-centered"という言葉が使われている。human-centered, person-centeredという言葉と対比できそうだ。humanismに対比するなら、"networkism"。題名の通りポストモダンという文脈で語っている。ダイアローグという1対1の関係を拡張して、ポリフォニー(ポリローグ)という関係をsocial networkという言葉で語る。socialとsocietal/societyという言葉の使い分けも含めて面白い。

*1:遅れてきた古典ギリシャ復興(ルネサンス)としての近代オリンピックでも、国別のメダル数という考え方には否定的で、個人の栄誉であることが記されている。:http://www.joc.or.jp/olympism/education/20090201.html

*2:ティク・ナット・ハン氏の用語だと、個体レベルでの"mindfulness"に対し集団レベルでの"inter-being"という言葉があるようだ。前者ができれば自ずから後者が達成されるわけではないとしたら(そういうケースも多そうだが)、その間には何があるのだろう、と気になる。

*3:列伝みたいな形式は、それこそヴァザーリ『美術家列伝』とか他にもあるようだけど、次に思い浮かんだのは渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』。当時は内容的に面白いとしか思わなかったけど、列伝という形式自体に思い入れがあったのかなとも思う。

*4:re-ligation = 再・結合

*5:人が人を認知し認知されることで人間になるように、文も文を認知(引用)し認知(引用)されることで文献になる。人から人間に、文から文献となる存在論ontology