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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

「個有」名詞

原子 (atom) と個人 (individual) は、単語の語源として「それ以上分割できないもの」と似た意味であることはよく言われる。ファインマン (Richard Feynman) の

If, in some cataclysm, all of scientific knowledge were to be destroyed, and only one sentence passed on to the next generations of creatures, what statement would contain the most information in the fewest words? I believe it is the atomic hypothesis (or the atomic fact, or whatever you wish to call it) that all things are made of atoms.
The Feynman Lectures on Physics Vol. I Ch. 1: Atoms in Motion

をパロディ化するなら、

If, in some cataclysm, all of humanistic knowledge were to be destroyed, and only one sentence passed on to the next generations of creatures, what statement would contain the most information in the fewest words? I believe it is the "individual" hypothesis (or the "individual" fact, or whatever you wish to call it) that all societies are composed of individuals.
(Richard Feynwoman)

といったところか。


原子のように個人を根源的なの構成単位として考えること。よりディープな世界では素粒子が云々とか、原子を更に細かく見ている(全然わからんが)し、個人についても更に細かく見るアプローチが理論的にはよりディープだとは思いつつも*1、原子と同様個人を単位として考える。個人という「理論」あるいは「仮説」。近代社会の重要な過程。しかしなかなか貫徹できない『未完の近代』。


ヒトを個人として捉える。互いを個人としての固有名詞で呼ぶ。固有名詞ならぬ「個有」名詞として。職位や職能、家族名詞(誰々のパパとか何代目XXXなど)ではなく、「個有」の名詞として。対等ではなくても、同一平面に並ぶことができる・・・イソノミア的と言えるだろうか。


法が「書かれたもの」「明文化されたもの」、文字ができあがっているものだとして、ノモスが声の伝達による暗黙のルールとする。「個有」名詞の記憶にダンバー数という限界がありうる。「イソノミアiso-nomia」は、個人レベルではダンバー数的な数の限界があるかもしれない。しかし、その重なりと捉えると社会レベルでは理論的には無限になる可能性もある。


小学校の校長をされている人の話を聞く機会があったが、「我々の世界では、全員の顔と名前が互いにわかる300人くらいが丁度良い数とされています」と述べていて、まさにダンバー数じゃんと面白かった。どの範囲でコンセンサスなのかわからないけど、直感的にも前思春期くらいまでそういうイメージだったのもあり。「もしも世界が300人の村だったら」という想像は、ダンバー数の限界問題を解けない。一方で、「もしも世界が(互いに移動可能性のある)多数の300人単位の集団で構成されているなら」というのは、現実に接続する中間的な世界への想像として興味深い。


ダンバー数以下の顔と名前が一致する関係を社交的 (social)な関係、ダンバー数以上でそれができなくなる関係を社会的 (societal)な関係と定義してみる。
・ヒトを「個有」名詞で捉えること(認識)social science*2
・ヒトを集合としてカテゴリカルに捉えること(認識)societal science


「個有」名詞を得ることで、人が個人となる存在論ontology。


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曖昧な記憶だが、古代ギリシャ貨幣経済であり、貨幣経済により個人主義が芽生えた、といった話を岩井克人博士がしていた記憶がある・・・個人 (individual)を集団から分割して (divide) 切り出す作用としての貨幣。共同体を切断し、別な関係でくっつける。分子で言うと、共有結合というレベルではないだろう・・・水素結合か分子間力くらいか?貨幣がなかったら、人は共同体でどれだけ息が詰まり窒息するだろうか。再結合的re-ligiousな媒介物としての貨幣。

*1:精神医学における行動の位置づけ - ideomics参照

*2:もちろん固有名詞で考えるのが常に良いとは限らない。例えば、科学的・理性的に議論したい時に、個人名・固有名詞を持ち出すのは、対自然の話が対人的な話に変換され、社交認知の感情回路が不要に活性化されてしまう可能性がある。人物名に-ist/ism, -rianとつけるタイプの議論はこの可能性/危険性がある。自然科学における人物名の排除はこの危険性の回避のためのひとつのテクニックかもしれない。対人・社交認知social cognitionは当然必要なモジュールだけど、オンオフを形式的な認知からコントロールすることで、感情・情動価値valenceをある程度コントロールできる可能性がある。