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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

精神の衣服

オキュラスでVRを体感してから、一次的な視覚や聴覚に、自分で想像する画像や音を重ねるトレーニングをしばししてみたけど、これが相当うまくなれば機器いらずのVR/ARができるようになる。ある種の芸術家はこれが相当に優れているのだろう。イマジネーションが強くなれば、スマホとか使わなくてもポケモンなり妖怪なりが「見える」。俗に「霊感」と言われているものも近いのだろう。しかし、随意的か不随意的かで適応的な意味は全く異なる。


あくまでも心的存在psychical であり、物理的存在physicalではないものとしてだけど、周りに精霊がいるような感じを表象として構成しつつ生活を送るとなかなか楽しい。VRとかディズニーランドというのは、他人の想像からの創造から、一旦物理世界を通して、自らの想像的な心的世界を構成することだとすると、初めから自分でやった方が早いという話もある。空想と空想的実在の効用。


現実世界と心的世界の区別が曖昧になると生きていくのに非適応的になりがちだが、区別がついていれば心的世界での「実在」は役に立つことも多い。古くは神様や神話の効用。心的世界の「リアリティ」がある。現実世界physicalに居場所がないときに、あるいは恐怖で逃げ出したいときにどこに撤退するか・・・想像の心的世界psychical。現実世界のフロンティアは勇敢な者が切り開くのに対し、心的世界のフロンティアは臆病な者が切り開くのかもしれない。


ポケモンGOが引きこもりの解消に役立ったという話があるけど、インセンティブによる運動誘発だけでなく、realityに対してvirtualityがのっかることで (V/R)、「現実」に対して接しやすくなる部分もあるのかもしれない。現実の重力に引っ張られすぎるdepressive realismに対するhypomanic fantasism:日常的にファンタジー世界に生きることによる適応の形。しかし、ポケモンGOやってないのに、電線上のカラスがポケモンに見えてくるから不思議だ。VR/ARによって、RealityがVirtualizeされていくこの離人感・・・Realistic Virtuality。Real is virtual, and virtual is real.*1


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防衛機制は思考や感情のパターンを鎧の喩えで表現する。戦闘の比喩、かなり男性的な比喩だ。確かに防衛と言うレベルに必要な状況もあるけど、より広く考えるなら、防衛と構えずもっと日常的な衣服として表現してもよさそう。武闘から舞踏へ。踊るための精神の衣服。寒さをしのぐ衣服から始まり互いに見せ合うコミュニケーションとしての服飾へ。なんなら精神の衣服の「パリコレ」でも。


そもそも衣服を来ていない本体とはなんぞや?とも思うが、仮に感覚入力そのものとすると、マインドフルネスの発想を逆方向に回転させるようなものかもしれない。シベリアに裸で行く人はいない。現代社会では、天気がよくても裸で道歩いてたら多分お巡りさんの世話になる。剥き出しのrealityがしんどければ、衣服としてのvirtualityをまとえば良いのではないか。しかし、衣服に好みとフィットがあるように、virtualityにも好みとフィットがありそう。身体における衣服は見える触れる。精神における衣服とは何か。理と情の間には文がある。語り・物語・レトリックもひとつのvirtuality=精神の衣服になる。text = texture.


衣服を延長したものとしての自分の部屋、そして建築。こんまりの片付け術は、一種の比喩的療法、箱庭療法とも言えるか。自分の部屋=等身大サイズの箱庭と見立てて。自然状態の部屋中の配置=無意識の状態と見立てて、片付け=それを自我が整理する過程で、自らも変容していく。自分の部屋は身体を包み込む分、よりアーキテクチャー性が高く身体に入りそうだ。部屋のモノが自身の比喩として、自身と表裏一体に変化する、と解釈する。

『人生がときめく 片づけの魔法』 近藤麻理恵(こんまり) - ideomics


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キュレーターズ(4):「縦」のフートと「横」のマルタン | 小崎哲哉 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

「親父は精神科医でアートコレクターでもあった。私はそういう世界に生まれてきたんだ」・・・ヘールと精神医療の関わりは、中世以来の聖ディンフナ信仰に始まる。・・・今日では、ヘールは家庭内メンタルケアの先駆的な土地として、国際的に知られている。

同展がフィンセント・ファン・ゴッホに捧げられ、「精神医学」「アカデミー」「アート」という3つのパートが併置されたのは、それゆえである。・・・生と距離を置かず、直接的につながっているアート。魔術ですよ。私はそれを、知的なコンセプトとしてのアートという我々の捉え方と差別化するために、アートというより魔術と呼びたい。・・・アートが本当にアートになった19世紀以来の歴史について我々が知っていることとを差別化するためにも」

*1:realismをつきつめて、色即是空、この世は一種の幻想・シミュレーションと「気づく」こと。これをひとつの「真実」と見なすのは、認識の極致に至ったと見なされたりするが、「人間的、あまりに人間的な」コーピングな部分もあるのかも。一種のリバウンド現象。メビウスの輪のようにrealismがfantasismに反転されていく。depressiveさ(depressive realism)を回避するという(結果的な)利得とともに。特にお金。お金を実体的なものとして深刻に依るほどdepressiveになる。一方で、お金のフィクション性・共同想像性・ファンタジー性に寄る方が、hypomanicに楽しくやっている、という印象。