ideomics

オブジェクト思考ブロギング

時計とヒトのオーバーホール

昔買ったヴィンテージ腕時計をオーバーホールに出したら、部品が劣化していたりで思わぬ出費。歴史あるものが良いと言ったりもするけど、実際モノをもたせるのは難儀だなと実感。最近まったく使ってなかったのも良くなかったみたい。


f:id:msk240:20141011221751j:plain


普段からのメンテと適度な使用、時々のオーバーホール・部品交換って、人間にも要るのかも、と思ったり。例えば、感情をかき立てられる時ほど、なんでその感情が生まれているのか、価値観とか思考の癖をオーバーホールして時に部品交換する必要があるんだろうけど、当然時間がかかる。精神的な加齢は物理的な時間よりも、オーバーホールしなくなるようになって訪れるものかもしれない。段々と余裕なくなるしね。しかし、人間のオーバーホールはどこでどうやれば良いのだろう。


そういやヨガって、物理的に身体をオーバーホールしている感あるけど、内面に対してどうなんでしょ。ヨガの元の由来は哲学的なものと聞くが。


    **


アメリカの関税法では、100年以上経過したものをアンティーク、約30年前〜100年未満のものをヴィンテージと定義しているらしい(と聞く)。「新品」の人間の肌ツヤを眺めつつ、30年でヴィンテージねぇ・・・と。しかし、再生産ってgeneとmemeのOHみたいなものか?