ideomics

オブジェクト思考ブロギング

仕事と再生産

ベッドタウンとして設計されたニュータウンで育ち、多少歴史のある地域に引越してみると、生活感というか生活観の違いに驚かされる。生活に精神的な充実がある。そもそもベッドタウンという呼び方自体が、仕事中心で他の価値を捨象した言葉と今更気づいた。。。両親もそろそろ引っ越すことを考えているらしい。ベッドタウン=ニュータウンが衰退しがちなのはわかる気がする。ベッドだけの家に長く住みたい人は少ないから。街自体が再生産できていない感じ。


ワーク・ライフ・バランスという言葉があるけど、ライフ=生活にまつわる衣食住や政治や教育など「地場」的なものをいかに疎かにしていたか、金銭面から承認欲から競争的衝動まで職業的なものへの引力にいかに強く引っ張られていたか(いるか)感じる今日この頃。ヒト=インセンティブの奴隷、とすると、職業的なもののインセンティブ設計が上手すぎるんだと思う。金銭から名誉、地位(ソーシャル・ランク)といったものへの射幸心の煽り方が。最近のソシャゲなんて可愛いもの。歴史が違う。


集団総体として、職業的なものの設計がうまく周り過ぎて個人の時間を奪っていくと、「ライフ」側である再生産が縮小して、結局長期的には職業的なものも回らなくなる、という現象がありえる。時間は1日24時間で限られているから。貪欲過ぎるタコが、食欲あり過ぎて自分の足を食っていくイメージ。


現代で個人単位の経済的合理性を追求して極北までいくと、多分再生産できない。再生産って、全然ペイしないから。理論レベルの話として、個人レベルで極限まで追求した合理性を合計すると、再生産が停止して集団単位ではextinctionしうる、という合理性のジレンマがありうる。実際、東京における出生率は1.06前後と非常に低いが、人口を周りから吸引しつつ、再生産を半分停止させているわけで、集団extinction方向にドライブする装置として機能している。*1。現在の経済活動が、人口動態(人の数)と教育レベル(人材の質)に支えられているとすると、再生産は、経済の下部構造として捉えても良いのかもしれないのだが*2


communismを、単語communityにシンプルに共同体(衣食住や政治や教育など「地場」的なものだが、特に再生産)の重視とすると、現在の価値観へのカウンターバランスとして妥当な主張とも思えてくる。市場や資本とか大事に決まってるわけで、それを否定とか止揚とか乗り越えとか言うわけではなく、単なる両輪の片方として、あるいはその下部構造として。両輪の片方(あるいは下部構造)として別な空間(コミュニティ)とそのインセンティブ設計(魅力設計)が必要なんだろうと思うんだけど、そんなに良いアイデアがあるわけでもない。市場や職業的なものとパラレルに考えるなら、お金なキャピタルに対するソーシャル・キャピタルというところだろうか。。。

「人は土から離れては生きていけないのよ」

*3


     ****


『育休世代のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか?』をざっと読む。


高学歴女性の仕事・家庭ジレンマを扱っている。一見人数が少なく一般性に欠ける群なように見えるが、仕事・再生産のジレンマという先進国がぶつかっているイシューが、最も先鋭化されている「モデルケース」とも捉えられる*4。Socioeconomic status (SES)をいっしょくたにして女という切り口で語っても課題は異なるが、むしろ高学歴女性とパートナーになりがち、あるいは同じ課題にぶつかる高学歴男性の方が「モデルケース」の課題に切実かもしれない。職業システムの射幸心の煽り方があまりによく出来過ぎな一方で、再生産活動の制度的インセンティブがなさ過ぎて、結果として資本主義や市場が、人材の「焼き畑農業」になってしまっているのを、どう解決するかという大きなイシューのミクロ・モデルケース*5


この場合、(価値判断は置いた上で)一般的な男性像は、職業システムのインセンティブが強く、再生産への引力が弱い個体という捉え方になる。再生産=女の仕事、という捉え方もあるが、再生産の外的インセンティブがほとんどない、というかマイナスな状態で、人類存続のインフラ中のインフラを回そうとするのは、「水道会社やガス会社は内的な満足があるでしょうから、無給でがんばってね」という以上に無理とリスクと不公平感がある。そうなったら、静かに水道とガスが止まっていくだろう。「ライフ」も文字通り停止していく。水道の栓をひねると「自然に」水が出てくるように、「自然に」再生産が成り立つものと仮定した状態で、制度設計なり文化を持続させるのは、現代においてはもう無理がきているのかもしれない。*6


男女の役割を逆転させる、ないし子育て外注共働きで、現在の職業システムに『リーンイン』して成功を目指す正面突破モデルも権力構造エンジニアリングは、ひとつの軸として大事だ。が、正直かなり大変。思っているような「権力」が「上」にあるかというと、異論のあるところだし、職業システムのインセンティブ設計が強固であるがゆえ、ミイラ取りがミイラになりがちな構造もある。結局のところ問題は、「自身の内側にある」職業システムへの引力や競争心の強さだったりもするから(内的な問題としての側面)。

『女性は仕事と家庭を両立できない』? - ideomics


再生産の、私的な部分と公的な部分を考えるのは難しい。再生産が完全に私的なものであれば、結婚市場から就労の有無、子育てのスタイルまで完全に自己責任で良いが、集団としての「生存」や実際に集団生活が回っていくかどうかを、イデオロギーではなく現実的に考えると、完全に私的と済ませて済むわけでもない。出産が公的というのは相当気持ち悪い発想に聞こえるが、結果としてどういう市民ができるか(あるいは、そもそも「できない」か)は、公的なテイストが出てくる*7。何よりも子供も「他者」の一人であり、家族という限られた空間でも公的な部分がある。


長期的・マクロなレベルで、再生産活動の価値や評価、社会における位置付けを上げていくかというのが、私的と公的の間にある課題設定のひとつになるのかもしれない。再生産活動の「報われない感」とか「置いて行かれている感」がないような価値規範。文化のエンジニアリングというと、ネジやコードもないのにどうやって・・・という感じもするが、現実に変わっていくものである以上、どこかしらに見えないネジやコードはあるはず。少なくとも、自身の内面はエンジニアリングできるとしたら、それを総体として行うことは不可能ではないと思ったりもする。実際、アカデミアにいると、普通に仕事すればもっと稼げるのに低めの賃金で携わっている人は多いわけで、貨幣以外の方法でも価値規範を形成するのは可能なはず*8。インセンティブというと、お金が第一に考えられるが、一定水準を超えると、ソーシャルランクがかなり大きくなると感じる。


子育てやら再生産をフェアに負担みたいな言い方だと、税金を誰が負担するかみたいなネガティブなトーンになるけど、これまで再生産に参入していなかった新勢力(主に♂だが、それに限らず法人など含め)が参入することで、再生産にどういうイノベーションが起こりうるか、と捉えると楽しげなトーンも出てくる。ヒト配偶子ゲノムをゲノム編集して人類の進歩が云々、といったSF的なことが実行されていく日もそう遠からぬうちに来るかもしれないが、目下現実的なイシューではないし、これまでの人類の進歩が、次世代への情報的な伝達や教育行動をベースにしていたことを考えると、再生産のイノベーション→人類の進歩、というのは妥当な線だろう。


「クリエイティブな仕事」という言葉があるが、creation=創造、の言葉に回帰すると、生き物creatureを創り出すことがおそらく語の本流の意味。となると、再生産ほどcreation=創造に近いとも言える*9。いわゆる「クリエイティブ」という文脈でも、仕事の機械化とともに、人間(非機械)のやるべきことが再生産の方が相対的に寄るだろうという考え方も成り立つかもしれない(もちろん大いに間違っているかもしれない)。


ライフ・サイエンスというと、分子生物学を中心とした物質科学を指すことが多いが、「ライフ=生活」とすれば、いわゆる生物学を流用しつつ、上述してきたようなイシューを科学として取り扱いえるような視点にもなるかもしれない。生活科学というとちょっとダサいけど。いわゆる生命科学も、物質科学である以前に、科学者という主体から興味を引き出す源泉として「いのち」という大和言葉的・主観的な感覚と概念に支えられているわけだが、これが極大化されるのが、再生産の現場であるという言い方もできる。


仕事と再生産の軸を二項対立ではなく、勾配で考えると、間に入るのは教育産業(広義の子育てでもあり職業でもある)。教育機関の位置付けや働きは大きな鍵を握っていそうだ*10。保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院という順に教員の社会的ランクの勾配があるのは、あたかも再生産と仕事の勾配を反映しているようだ。この勾配を、「大貧民」の革命のように逆転させるような価値観ってどういう考え方がありうるか、と思考/試行してみるのは面白そう。ひとつの考え方としては、胎児期・出生に近いほど、脳構造の変化が激しく、その環境・養育の影響力が多いのではという仮説。ただそういった変化が、環境の影響をどの程度受けるか、文化レベルでの影響がどんなものかはなんともわからず。このあたりの脳・精神の発達は科学の文脈でも興味ある人は多そうだが*11


教育の世界そのものが、ひとつの権力空間を構成しているが、現状では市場や政治に匹敵する明確なパワーがあるとは言いがたい。むしろ、市場や政治の従属的な地位にあると言った方が近い。権力分立三権分立)の考え方を外挿して、権力空間が多様になっている方が個人・社会の自由は総体として増えることを考えると、国家と市場とは別様に、あるいはその彼方にあるような堅牢な「自由空間」の創出することは、再生産に止まらない意味合いがあるように思える。具体的には、教育・再生産という名の「自由空間」の創出。いうなれば三空間分立。権力空間の建設。*12


個人的にイクメンという言葉はさほど好きではないが、むしろマチズモをアップデートするような形で♂の養育行動を捉えることもできるかもしれない。「雇用者としての振られた作業を端でこなすよりも、自分の城(家)を守ってこそ漢」みたいなロジックもありそう。実際組織で働くって、かなり意味のある仕事でないと時間の浪費も多いし。2014年の人口ピラミッドを見ながら、昔と同じような出世階段を描くのは非効率なわけだが、となると時間を無駄にしている感はより強くなる。逆説的だけど、封建的な考え方の「部分」的リバイバル。イエの再考。*13

父というものが「人工的=人の作りしもの」であるとしたならば、それは"さらなる"造作・創造の余地がある。あたかも物理的なプロダクトやソフトウェアのように。ソフトウェアのようにver1.0からver2.0, 3.0とアップデートできるということ。あるいは、地域や時代、個人によっても形は異なって然るべき。父とは一種の文化的創造物であり、人の意志の所産である。かもしれない。

(『フランス父親事情』 浅野 素女 - ideomicsより)

「『母』というのは現実に存在するが、『父』というのは法律上の虚構に過ぎない」というある作家の言葉が思い出される。ある種の無力感を抱きつつ、それでもなおmaternity/mothershipに相当しうるfathershipといったものを探さなければならないのだと思いつつ。

(メアリー・カサット - ideomicsより)

You never actually own a Patek Philippe, you merely look after it for the next generation.
Begin your own tradition.

"Patek Philippe 2013 Short Film - Begin Your Own Tradition"

*1:この文脈において、2014年6月18日の東京都議会本会議において出産(再生産の始まり)を揶揄するようなヤジがあったのは、特定の議員だけに還元されない、集団全体の政治の表現型として大きな意味合いを持っていると思った。

*2:別な言い方をすれば、経済活動は、再生産のcream skimmingとも言えるかもしれない

*3:とはいえ、某マンション掲示板で、タワーマンション住民はIT系が多いみたいな記事を読んで(本当かどうかは不明)、なるほど、と思った。中途半端にではなく徹底的に「土」から離れた人たちも必要だし、逆に興味を惹かれた。ラピュタ的な。

*4:喩えは悪いが、アルツハイマー病に研究的にアプローチする際には、まず家族性・遺伝性の濃厚で特殊な「モデルケース」からアプローチするように

*5:イシューの意味合いについては、『イシューからはじめよ』参照

*6:もちろん再生産サイドへの引力も、社会的プレッシャー以外にかなりあることは確か。要は子供もかわいい。保育所に預ける時に子供に泣かれれば誰でも感じるところだ。だからまったくのゼロにはならないわけだが。

*7:悲観的なシナリオを考えると、人口動態の超高齢化とともに、稼げる層の若者の海外流出→さらなる財政困難→より流出という悪循環のもと、医療・年金が回らなくなって、全体に貧困化というのが、遠くない未来にありえる。というか、ある程度収入のある層で英語教育やインター通いが一般的になっているが、日本の「途上国」化も十分ありえるシナリオ。

*8:そもそも貨幣自体が、歴史を遡って考えると、文化のエンジニアリングシステムと言えるのかもしれないが

*9:On Creation - ideomics参照

*10:女の問題としての子育て論を脱するひとつの方向性? Human Development Studies - ideomics参照

*11:東京大学神経科学部附属保育園:教育学は自然科学か? - ideomics

*12:自由空間の座標系 - ideomics参照

*13:大家族政策:家政学と経営学 - ideomics参照