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オブジェクト思考ブロギング

ジョン・ラセターの逆襲:『アナと雪の女王』

遅ればせながら、やっと見た。とりあえず完成度が凄い。CGのクオリティ・ミュージカル部分の挿入の妙・ディズニープリンセス像の発展的自己否定・女に内在する2つの欲求の描写など、内容は色々言われている*1ので割愛するが、製作としてもピクサーとディズニーのシナジー/マリアージュとして感嘆するしかない。主に男の子向けでオタクっぽい会社だったピクサー率いるジョン・ラセターが、ディズニーのリソースや文化、スタッフを活かして、その伝統を変遷させつつ、ここまで女の子/女性向けのアニメ作ったのは才能の普遍性か。コアコンピタンスは、3D云々といった技術的な次元から、人間愛の強さとも言うべき次元の人なのかも。



ベンチャーの出口として大会社の買収と聞くと、経済的に手堅い手段というイメージだったけど、被買収社が、買収元を文化的に変えてしまうとしたら、影響力のレバレッジとして下手なIPOをよっぽど良いのかもと思った作品だった(最近のグーグルもそうなのかもだけど)。という意味で、結果として伝統的大会社&新興勢力のM&A賛歌みたいな作品でもある。ディズニーを解雇されたこともあるラセターがディズニーに、(良い意味で)何倍返しもしているという意味では、アメリカ社会における才能のresilienceを示す作品とも言えるかもしれない。デイジー・ブキャナン(プリンセス)と結ばれた現代のジェイ・ギャツビーは人間味のあるナードだったと言ったら、さすがにそれは言い過ぎか。


完全に言葉遊びだけど、「ディズニー/ハリウッド/LA」と「ピクサー/ベイエリア/SF」という西海岸エンタメ・テックの組み合わせの、一番の先鋭のひとつかもしれない。いわゆるウェブ企業のメディア化・オシャレ化が進むとして、表面的なデザインのかっこよさだけだとあまり発展性は感じないけど、この作品レベルにツァイトガイストみたいなものを汲み取れるかどうかは、メディアの生命として大事そうなので。フェミニズムという言葉自体は色々限界ありげな感じであまり好きではないけど、フェミニズムが取り扱うような現象を2014年現在の文脈でうまく取り扱うかは、やはり世界的なトレンドなんだろう。


初期には、モンスターやら車やらに「animate=命を吹き込む、をしているという意味で、まさにanimation」*2であったCGという技術だけど、いかにも人間らしい人間の描き方にも地歩を固めてきている。アンドロイド業界における「死の谷」問題がどこかで出てきそうだけど、いずれ解決されるのではと思ってしまう。しかしアニメでここまでできると、実写の映画の存在意義というのが難しくなっていきそう。子供向け扱いされている/いたアニメが、実写映画に対する一種のdisruptiveなテクノロジーになりうる/なっているという意味で*3。映画が人文の世界で取り扱われること自体は長い歴史もあるし、「人間とは何か」といった大テーマがこれまでなかったということはありえないが、改めて実写って何だろう、リアルな人間って何だろうという問いを突きつける。


アニメ−ションで生き生きとしたストーリーを、AIから認知的なシステムを、アンドロイド(ロボット)からそれらしい動きを、産業機械から仕事を、それぞれ外堀から埋められる「人間」という概念*4。しかし、「人間」ってなんだろう。

*1:『アナと雪の女王』に見るディズニー文化の進化, 「アナと雪の女王」は日本伝統のオタク文化的視点から評価すべき〜文化相対主義のススメ

*2:『モンスターズ・ユニバーシティ』 - ideomics

*3:アドビのフォトショップみたくCGアニメを簡単にソフトで取り扱えるようになって、キャラデザインなどをピクシブみたく共有できるようになったら、より制作のハードルが下がり、安価な映画が生産されそう

*4:とある外科医の息子が言うような「人間の終焉」というのは歴史を遡ることで過去から問われる考え方とすると、こちらは未来から問われている感じ