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ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

科学における「概念」の位置づけ

メモ


STAP細胞問題をめぐって(武藤)

文系の研究者からみますと、生命科学(あるいは理系全般?)の研究者は、論文の「背景」・「目的」に対する思い入れが少なすぎます。・・・個人研究を中心とする文系の研究者にとっては、自分のレゾン・デートル証明のためにも、論文の「背景」「目的」は、極めて重要な執筆過程になります。

平均的に見るとある程度そういう傾向はあるかもしれないけれど、頻繁に権威ある雑紙に論文を載せているラボの文章を読んでいると、やはり文章(自然言語)で、データや問い、考えていることを「概念」のレベルに落とし込んで(概念に圧縮して)、それをスケールさせている気はする。逆から眺めると、スケーラビリティ(広がり)を得るためには、いかに生の素材を「概念」に落とし込むか。というのも、明確な技術か概念にならないと、スケーラビリティは得られにくい(=広く読まれない)ので。


また、個別の議論をするときも常に一般性や拡張性を意識して、「あくまでも大きな問いから見たコアの各論」というスタンスを取る傾向にある。〇〇という大きな問題に答えます。大きな問いを分解していって、フォーカスしたコアになる部分の答えはこれです。みたいな。気がする。


データと概念の勾配は神学論争になりがちで、概念方向にやり過ぎるとアドバルーン打ち上げ過ぎの怪しい人になる。とはいえ、日本の研究者はScientistではない、優れた技術者だ、fact-collectorだ、といった言葉が出てくるのは、概念部分に弱みを感じられることが多いからかもしれない*1。英語でやるから日本人に言語上の大きな不利があるのに加え、理系・文系という形で(大局的には本来同じものを見てるはずのものを人工的に)分けてしまっているという背景もあるかもしれない*2


Ph.DPhotoshop Doctorではなく、Doctor of Philosophy (Philosophiae Doctor)の略であり、philo=愛、sophia=知・智とすると、この「sophia=知・智」は、おそらく知識や情報とは違うものだ。シェーマ的にすると、
・情報=データ
・知識=記述
・知=概念
というように、階層が異なり、Ph.Dを意訳すると、概念を愛する人という意味とも取れるかもしれない。


大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing

"Science is a writing business"と言って(文章を書く力を)非常に重視

実験データ → 著者内の概念 → 論文の文章・図 → 読者の概念

という流れを考えると、著者内での(内在的な)概念になっていても、概念を文章化し、それを読者というまったくの赤の他人に伝えるというのはなかなか困難な作業だ。特に自分の文章を読み直すと、どうしても自分の内在的なもので補えるので、「客観的」な解釈はしにくい。この構造を文章に内在させていくのは、やはり訓練がいるんだろう。結局科学と言っても、形としては自然言語を中心としたコミュニケーションになるので、「文」系が絡まないということはない。


実験という、「自然をして、自らを語らしめる」行為(人間は媒介でしかない)の意味合いを理解し始めるまでかなりかかったし、多分今も不充分。自然科学という概念は、対象が生き物か社会かというより、「自然をして、自らを語らしめる」スタンスがどの程度あるかによると思ったりもする。が、媒介者である以上は、(自然言語を中心とした)媒体を頼らざるをえない。一種の預言であり、それは人間界の言葉で書かれる必要がある。


アドバルーン的に言えば、『自然科学が最強の神学である』。「真理とは最新の誤謬である」(ニーチェ)、あるいは「認識=世界観の工学的構築」と思いつつも、「それでもなお真理の存在を信じる」(ただし99.9%は仮説として)という信仰の形式。そして、現状最強の神学のひとつ。


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2014年3月21日22日追記

フェルミ国立加速器研、研究成果発表における「PowerPoint」の使用を禁止
研究発表を、パワーポイントではなく、黒板+チョークの講義方式プレゼンでするように、との話。数学科卒の友人の話では、数学の世界では「黒板至上主義」という文化があり、そもそも普通なことだとか。確かに概念的な話をするには、相互コミュニケーションになりやすいことも含めて良いかもしれない。パワーポイントはデータの羅列にもなりやすいので。生命科学や実験科学の世界も取り入れたら良いかも。


議論のアーキテクチャー - ideomics
のように、自然科学の分野で、どう概念創発敵な議論(対面であれ、文章であれ)をしていくかは、インフラ的な課題かもしれない。

*1:正確に言うと、既に作られた概念の使用に問題はなくとも、新しく概念を作っていくところに

*2:大福を皮とアンコに分解して、皮が重要だ、いやアンコが重要だ、と論争している状況とだぶって見えてしまう。両方一緒に食べた方が美味しい。