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オブジェクト思考ブロギング

親密圏のテクノロジー

年末年始は、親密圏(空間)に意識が向きやすい期間。改めて"家で""一緒に食事する"という行為が、親密圏形成の肝かもという感じがした。もう少し一般化するとホームパーティ。


楽しいことを一緒にやると、条件付け刺激みたく、一緒にいた人への好意が高まるのだろうけど(報酬系の賦活?)、食事を一緒にする習慣はこれを繰り返し継続して行う点で他にはなかなかない強みがある。摂食行動自体、報酬としての刺激も安定してそうだし。「同じ釜の…」といった表現があるけど、家族的紐帯の幾分かは、摂食行動をともに行う習慣に還元できるのかも。逆にこれがなくなると、紐帯形成には不利かもしれない。"家で"という部分はうまく解釈できず。ちょっと考える。。。


親密さの形成という意味では、秘密の共有もメジャーなもののひとつ。フラタニティ、告解、精神分析、反社会的組織にせよ。精神分析は、外見から教会での告解の人文バージョン(人文化されたカソリック)・市場化とも捉えていたけど、親密圏の形成テクノロジーとも捉えうるか。だいぶ昔に若いお坊さんと、精神科や臨床心理の機能って、一部はもともと宗教の範疇だよねという話になり、「でも継続的定期的な関係がないと難しい」という答えが印象的だった。毎週日曜の教会とかは、それなりに機能してそうだけど、お寺はあまり聞かない。いずれにせよ、継続的に会うというのは必要そう。


猿なんかだと毛繕い。毛繕い的コミュニケーションという表現があるけど、毛繕いそのものをやった方が、親密さの維持には効果的かも。ともすれば不快感も大きいので、やり方はそれこそテクニカルな難しさがあるけれど。そいやスキンシップという言葉は、和製英語だったのが、他国でも使われているらしい*1。ここで、あえてテクニック/テクノロジーという言葉を使うのは、現代的な忙しさで子供や家族と接する時間の短い家庭では、親密さ効率良くやる必要があると思うから。


宗教と呼ばれるものを、非血縁者同士の家族的紐帯を生成するソーシャルテクノロジーとすると、一部の教会はうまくやっているように見える。少なくとも外からは。そこに集う人たちの表情を見ると、非血縁者同士の家族的紐帯を作るソーシャルテクノロジーが優れていると、社会の発展その他のベースができるのかもと思ってしまう。先の12月24日は、隣の教会から聴こえてくるコーラスが心地よい夜だった。


中高年婦人に多い、いわゆる神経症と呼ばれるもの。血縁家族以外の親密圏が不足した状態での、血縁家族の巣立ち→親密圏の消失というのが背景にある気もしてくる。退職した男性によく言われることだけど、女性も変わらないのかもしれない。とすると、解決は医学的なテクノロジーじゃなくて、ソーシャルテクノロジーとなる。いわゆるパーソナリティ障害で、愛着形成過程で困難があって云々と言われるけど、ここも何らかの形で実証的に示せたら、解決への道筋も立ってくるかもしれない。


反社会的組織では、「ファミリー」という言葉が使われたりするけど、事後的にそうならざるを得ない仕組みとともに、構成員もそういう渇望がある人が多かったりするんじゃないか、と思ったりもする。荒れた地域や紛争地域なんかだと特に。漫画『ワンピース』で、「仲間」「仲間」と強調されるのは、一見マーケティングのように見えるが、登場人物の白ひげ(エドワード・ニューゲート)が最期のシーンで「俺はただ家族が欲しかっただけだ」みたいな話が出てきて、これは白眉、作者の慟哭かと思った。ワンピース=ひとつなぎの秘宝とは何なのかという主題に触るようなセリフかもと思ってしまう。


いわゆるナショナリズムも親密圏を求める欲求のコインの裏表かもしれない。ナショナリズム批判として、社会的階層への不満や経済的困窮がナショナリズム高揚の背景とされたりもするけど、どうも個々人の親密圏=家族的紐帯を求めるというのもあるんじゃないかと感じる。そもそもナショナリズム自体が、「国家の構成員に家族的紐帯を求める主張・欲求」とも言えそうだし。ナショナリズム自体は、当然良い面もあるけれど、ネガティブな面を抑えていくとしたら、ナショナルな家族的紐帯を過度に要求しないで済むような、個々人の親密圏=家族的紐帯を活性化するようなテクニック/テクノロジーの開発かもしれない*2

*1:裏はとっていない。ウィキペディアには別な説明もある。

*2:しかし、ナショナリズム貧困層が他に寄るべきものがなくて云々という定型的な意見があるけど、あれは本当なのかな(自分としては違和感)。実際の声(深いインタビュー)をエスノグラフィックに集めたものでも読んでみたい。