ideomics

サブジェクト⇔オブジェクト思考ブロギング

汝を知る:意識と無意識

 

大学時代やたら悟った同級生がいて、彼女の当時のミクシィのプロフはスナフキンの「たいせつなのは、自分のしたいことを、自分で知っていることだよ。」であった。古代ギリシャの「汝自身を知れ」を引くまでもなく、こういった金言は多い。それだけ難しいことなのだろう。放っておくと無意識の領域にいきがちなものに時々意識のライトを当てるようなことか。

 

主観的という言葉は、ともすると恣意的という意味になるけど、自分という主体がどう感じてるか、どう考えているかというのを「わかる」というのは、客観的な物の見方とは別な難しさがある。主観的である、というのもなかなか大変だ。知能、知性、賢慮といくに従って、文字通りの全身で考えるものになっていく。神経細胞が自分の全身にめぐらされているというごくごく当たり前の事実は、知能や中枢神経を中心に考えているとついつい忘れてしまう。無意識にある部分は、その定義から言って自意識についつい忘れられてしまいがちだ。

 

自分への内観というだけでなく、他の客体との向かい方でも問題になることがある。客観的に数字で分析していくようなスペック的判断・スペック的合理性というのは大事だけど、意識で把握されるような数字や構造が、対象の現象をどれだけ捉えられているかというのはメタレベルで問題になりがち。無意識の領域まで含めた官能的判断が要求されることも。いわゆる直観。意識レベルの学問的合理性を、無意識のレベルまで織り込んだ合理性にアップデートするのが、人間関係の学術に対する精神・神経・行動関連の研究・考察に期待される学問的な貢献のひとつと言えるかもしれない。例えばneuroeconomicsのように。

 

しかし、無意識レベルも含めた「主観」「判断力」って磨くの、どうすれば良いのだろうか。内省は古典的なひとつの手段だが、それ以外にも自分自身の行動観察や官能的判断の結果をフィードバックしていくという実験的な方法もある。前者は人文的、後者は自然科学的と言って良いだろう。

 

文章を書くことは、内省として有力な手段のひとつだ。文章を書き、文章という形で一旦自意識を客体化することで、「思考=一人の中の"二人"の対話」*1という仮想的な対話・・・自意識と無意識の対話・・・を用意できる。人文学の起源をソクラテスプラトンの対話篇に見出すならば、最も正統な人文的な手段だろうか。一人で「対話篇」をやれるならば一人でも良いが、誰かの手助けがあっても良いかもしれない。例えば、編集業というのが「開業」できるものだとしたら、リアル書店の危機と言われるが、「読み手のための書店」から「書き手のための書店」という発想の転換もありえそう*2精神分析は内観を促す手段のひとつと思われるが、ちょっと敷居が高め。

 

対話機能と同時に、思考や文章を書くことによって、自分自身と共にある状態、「誰か」と一緒にいる状態にもなる。自分自身の無意識こそが、最も親しい「他者」でもあるわけで。物理的には一人でも、あたかも二人でいるようなcompanyであり、いわゆる孤独ではない。思考という作業によって、最小の「一人親密圏」が「自分という他者」とともに構築できる。思考というプロセス自体は、考えた結果とは別な意味(一人でもcompanyがいる状態であること)も見出すことができる。

 

しかし、自分自身の無意識が「他者」とすると、自分のことは内省だけで全てわからないことにもなる。他人の全てがわからないように。カミュ『異邦人』は、自分(無意識)は自分(自意識)にとってのstranger(見知らぬ人)であることを表現した作品、カフカ『変身』は、自分(無意識)が自分(自意識)にとっての異質な他者(操作しきれない他者)であることに気づいた瞬間の違和感を表現した作品という捉え方もできるだろう。自分の無意識が自意識にとって他者であるとすると、それは他者の観察と等しい。つまり、「自分にしかわからない」という自意識の特権はないということだ。

 

となると、自分という「被観察者」の行動を客観的に観察していくというアプローチが有用になる。自然科学において客体を観察するのと同様に。できれば可能な限り客観的に。この意味で、自分を知る試みとして、「行動」を計測していくことの意味合いがある。

精神医学における行動の位置づけ - ideomics

 

もちろん、文字通りの他者に観察を委ねるという手もある。いわゆる伝記。しかし一般的ではない。幼少期の経験が後の行動特性を形作るということは十分に考えられるが、多くの人にとって幼少期の記憶は曖昧だ。この時期の観察は親が最も通じているだろう。職業作家が書いた伝記や、自ら書く自伝というのはたくさんあるけど、親が書いた「親伝」が重なると、ヒトの発達歴も重層的な捉えられるし、面白そうではある。基本的にプライベートに共有されるタイプの文章になるだろうけど。発達過程を実験や観察で因果関係を中心に分析的・科学的に捉える以外に、ホリスティックに叙述的にナラティブに捉えた記述も重要。時間かかるけど。